クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

日々の生活

 隠退牧師としての生活を始めて2年余りとなりました。牧師として現役で働いているときとちがって「生活している」という感覚が出てきました。家事を担当するようになったからだと思います。

 毎日の朝食は私が担当です。4日分の野菜スープと野菜サラダをまとめて作ります。毎朝、サラダとスープに加えて目玉焼きをつくります。15分ほどで用意できます。後片付けももちろん私です。食後は、珈琲。これも私が担当。

 昼食は時々パスタや焼きそばをつくります。夕食は毎週必ずカレーを作ります。スパイスを使ったカレーでおいしくできあがります。料理は実験につながる面があり面白いです。面倒くさい面もありますが。

 家事で取り組んでいるのが今は、台所のコンロやシンク周りをきれいにすることです。水垢や油汚れをとってきれいにするように努めています。汚れの取り方なども勉強しました。きれいになると達成感を感じますし、何よりも気持ちが良いです。次は風呂場をきれいにしようと考えています。

 年金生活になりましたので、家計簿の管理をパソコン用のソフトを使って行っています。ソフトは便利です。データを入力すれば、項目別に集計してくれます。老後の蓄えに二千万円必要というのはとんでもない話しですが、この2年、毎年赤字となりました。多少の蓄えもあるので何とかなると思っています。

 生活に関わることをするようになって、生活をしているという実感を覚えるようになりました。心地よいものです。以前は仕事オンリーで家事はすべて妻に任せていましたが、今はできるだけ家事を分担したいと思っています。

 日々の生活で心がけていることは、聖書を読むことです。老いを聖書から励まされて生きていきたいと思っています。老いることは、今まであったものを失って生きていくという面がありますね。私の場合は今、小さな字が読めなくなってきました。ハズキルーペという拡大鏡を買い、新聞を読みます。聖書の字も小さいです。讃美歌の歌詞も小さいです。聖書や讃美歌は、1枚1枚バラバラにし、スキャナーというパソコン用の機器を使っ読み取り、パソコンに取り入れ、それをタブレットに入れて拡大して読むようにしています。礼拝の時もタブレットを使って歌詞を拡大できるので、便利に使っています。

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奈良駅前の商店街の七夕の飾り


年をとり、いろいろな不便がでてきましたが、不便を生きるのも大切なことだと思います。

 

 

 

 

聖霊の導きを求めて(19)

 聖霊はどのように私たちを導いてくださるのでしょうか。聖書から考えます。

ペトロの手紙一2:1~2
だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。

 「霊の乳」を慕い求めなさいとあります。霊の乳とは、神さまの言葉のことです。神の言葉を慕い求めなさいと勧められます。霊とあるので聖霊の導きを祈り求めて聖書を読み、糧とすることを意味していると私は解釈します。テモテの手紙二4:16には、聖書の著者は聖霊であると書かれています。

ヘブライ人への手紙5章12~14節
実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに、再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです。乳を飲んでいる者はだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。

 私たちにとっては、「固い食物」「義の言葉」は共に聖書、神さまの言葉のことです。「固い食物」「義の言葉」とあるのは、神さまの言葉を思いめぐらし、そこから神さまの導きを受け取って生きること、つまり神の言葉を実践して生きることを意味するからです。「霊の乳を慕い求める」とは、神の言葉が何を語っているのかをまず知ること、神さまの御心を慕い求めることを意味します。幼子が大人に成長するようように、私たちは、御言葉によって生きる、御言葉を行って生きるようになります。御言葉を適用して生きるということができます。固い食物を食べて信仰生活を送ります。

 デボーションは、固い食物を食べることに相当します。これは聖霊の導きなしには行えません。デボーションを続ける中で、自分の内におられる聖霊の導きを確信できるようになります。

マタイ福音書4章4節
イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある」。

 昔エジプトを脱出したイスラエルの民が荒野を旅するとき、毎朝、神が与えてくださるマナを食べました。彼らは日ごとに神さまが与えてくださるマナを食べて歩みました。同じように私たちも日々聖霊に導かれて御言葉によってこの世の旅を行います。デボーションを行い、聖霊との交わりに生きること、御言葉によって生きることができることは神さまの大いなる祝福と私は受けとめています。この聖霊との交わり、聖霊の導きはキリスト者なら、誰にでも与えられます。地味な賜物ですが、祝福が詰まった賜物です。

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西洋人参木 散歩道にて

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せいようにんじんぼく




 

 

 

 

 

 

 

聖霊の導きを求めて(18)

 1996年1月、友人の牧師に誘われ、超教派の集会に参加しました。その集会は、「弟子訓練」を主題とした集会でした。二泊三日で、いろいろなプログラムが用意され、分科会も用意され、いろいろなテーマでの学びがなされていました。そこで私は「デボーション」という聖書の読み方に出会いました。その時「これだ!」との思いを持ちました。

 私はそれまで、聖書をどのように読んだらいいのか、よく分かりませんでした。聖書は日本語で書かれているので、誰だって聖書を読むことができます。読めばそれなりに教えられもします。聖書の読み方なんて、人から教わる必要もないし、教える必要もないのかもしれません。そして私自身は、自分なりの読み方をしていました。言うまでもなく説教のためにも聖書を読みました。説教という仕事のために聖書を読みますが、自分の信仰のためにどのように読んだらいいのか分かりませんでした。そんな時の「これだ!」です。  

 その集会が終わったあと、週一回のデボーションの学び(合計11回)に御殿場から東京に妻と一緒に通いました。妻にも身につけて欲しいと思ったからです。それ以降今日に至るまで、私も妻もデボーションを続けています。御言葉に従って歩む生活、御言葉に生きる生活を送っています。デボーションのためのテキストとなる本は『聖霊とともに生きる』で、何度も読みました。

 このディボーションの学び、デボーションの実践により、わたしは聖霊と共に歩む信仰生活を身につけることができたことを感謝しています。

  この超教派の集会には毎年出席しましたが、主催団体の指導者の韓国人牧師が不祥事を起こしたため、この集会は開催されなくなりました。指導者が問題行動を起こしたため、指導者が教えた弟子訓練に対する批判が生まれたことは残念に思いました。弟子訓練とは言い換えると信仰者を育成することであって、現代の教会が必要としていることと私は考えているので、本当に残念に思いました。

 

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アガバンサス 散歩道にて

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アガバンサス

 

イエスの恵み(6) イエス様と出会わせてくださった人

 人との出会い、それは何よりも私たちの人生を導く神さまの恵み、イエス様の恵みだと思います。

 大学を卒業してコンピュータの会社に就職しました。同じプロジェクトに配属された先輩がある日、「お前、お見合いしてみないか」と言うのです。私はまだ20代前半でしたし、結婚を考えるには早いと思いましたが、「分かりました」と返事しました。二人でYさんのお宅を訪問し、それぞれがお見合いをすることとなりました。それから私はYさんの紹介で何人もの人とお見合いをしました。私は10人以上の女性とお見合いをした末に、妻と出会い、結婚しました。

 このYさんがある時、教会の伝道集会に私を誘ってくださいました。日本キリスト教団の大宮前教会です。伝道集会で説教者のお話しを聞いて、「信じれば救われる」なら、苦労しないよ、といった感想を持ち、続けて教会に行く気持ちにはなれませんでした。しかしその晩、教会が火事になりました。ボヤですんだのでよかったと思います。それでこれは何かの因縁だと思って私は教会の礼拝に通うことにしました。このボヤのおかげで一人の青年が礼拝につながり、やがて洗礼を受けて牧師になるなどとだれが予想できたでしょうか。正に神のみぞ知るです。

 その後私は引っ越しをしたので、この教会に通うことはなくなりました。しかしまたYさんから教会のお誘いがありました。Yさん自身、住まいの関係で通う教会を変えられ、その教会へ誘ってくださいました。そしてその教会で私は洗礼を受けました。

 今、私にも教会に誘いたい人がいます。ただ遠方にいる方なので、どのように誘ったらいいのか、わかりません。今は祈るだけです。

 今度は私が用いられて、誰かが私との出会いを神さまの恵みと受けとめられるなら、本当にうれしいです。

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ムラサキカタバミ 散歩道にて

 

イエスの恵み(5) 御心のままに望ませる神

 私は1975年のクリスマスに洗礼を受けました。28歳の時です。一年半後、1977年4月に日本聖書神学校に入学しました。夜間の神学校です。入学の動機は、聖書をもっと知りたいとの願いでした。伝道者になる志が与えられていたわけではありません。ただ勉強したかったのです。

 夜間の神学校に行くために、会社では配置転換を願い出ました。コンピュータの会社にいた私は、プログラミングの仕事をしていました。かなり残業がありました。そこで神学校に行くために事務部門への配置転換を願い出ました。今思うと会社はよく許してくれたと思います。

 1977年2月に見合いをしました。最初に会った日に「僕は将来伝道者になるかも知れない。そうなった場合は、経済的に豊かな生活が送れるとはかぎらない。それがいやなら、話しは断ってください」と別れ際に言いました。そして結婚したのが今の妻です。

 伝道者になるべく神学校に行ったわけではありませんが、その可能性は認識していたことになります。もし神学校を卒業して伝道者にならなければ、会社員としての働きを続けることになります。その時は事務方に留まるのか、プログラマーに戻るのか、そんなことは少しも考えていませんでした。先のことは全然考えていなかったのです。神学校4年になる頃には、伝道者になる以外の道は考えられなくなっていました。

 洗礼を受けて間もなくの頃だと思います。名古屋に就職した幼友達が主張で東京に来たとき、夜道を歩きながら彼に「牧師になりたいとの願いがあるんだよね。でも人間関係が苦手だから僕には向いていないと思っている。憧れかな」と語ったことを覚えています。忘れっぽい私ですがしっかりと記憶されています。

 こうして振り返ってみると、神さまは憧れという形で、牧師になりたいとの願いを与え、それを実現に導いてくださったのだと思います。神さま、感謝します。私を顧み導いてくださるあなたをたたえます。

フィリピ2:13
あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。

 

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ヒメジョオン 散歩道にて

 

 

 

滅びについて

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」

(ヨハネ3:16)。

 このよく知られた聖句は「滅び」に言及しています。人間には滅びる可能性があることを示しています。「滅び」を主題にした説教を私はしたことがありません。滅びとは何か、心にずっと引っかかっていたので、調べてみました。イエス様は滅びについて何回か言及しています。以下に紹介します。

マタ 7:13
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。

マタ 10:28
体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

マル 16:16
信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。

ルカ 9:25
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。

 滅びについて語られていますが、滅びが何なのか、それは語られていません。新約聖書全体を見ても滅びは何なのか、語られていないように思います。ヨハネ黙示録には、「火と硫黄の燃える池」との表現はあります。この池に投げ込まれることが第二の死とあります。

 滅びということで忘れられないのは、イザヤの言葉です。イザヤ書の出だしはこうです。

「ウジヤ王が死んだ年のことである。わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた」。

 神の臨在に触れたイザヤは次のように語ります。

「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た」。

 イザヤは神の臨在に触れ、自分の滅びを予感しました。私が初めて自分の罪を自覚させられた時、自分は神さまに裁かれても仕方がないと感じました。滅びに似たものを感じました。滅びとは、言葉で説明できるものではなく、神の臨在に触れて感じるものなのかもしれません。私たちは、滅びがあることをわきまえ、神を畏れ敬い、救いを感謝して生きることが大切なのだと思いました。

 

 

イエスの恵み(4) 信仰なき者の願いを聞かれる神

 私は信仰のない家に生まれました。家には仏壇もなく、宗教的な雰囲気は何もありませんでした。幼い時に祖母が亡くなり、幼い子どもなりに、人間は死ぬ存在であることを知りました。死んだらどうなるのか分からず、死を恐れました。小学生の時から死を怖く感じていたと思います。死んだら自分の存在が消えます。私がいなくてもこの世界は変わることなく存在し、人々は生きています。自分が世界から見捨てられたような気がしました。それが恐ろしく感じました。死を考えないで生きるようにしました。しかしふと自分が死ぬことを思うとき、その恐れが私を捕らえました。

 大学生の時、大学紛争が起きて、色々悩みました。気分転換に大学4年の夏、尾瀬ヶ原に友人と行きました。山小屋に泊まったその夜、ふっと「生きることは何と空しいことか」との思いにとらわれました。

 何をすれば空しさを克服できるのか、何を所有すれば空しさを克服できるのか、色んなことをしました。物質的には人並みに豊かな生活ができました。しかし一時の満足しか得られませんでした。

 そんなある日、思ったのです。「そのために死んでも命が惜しいとは思わない、そのようなことのために生きよう。そうすれば死に勝つことができる」。それが何か、もちろん分かりません。生きていくために仕事をしました。残業も多く、考える暇がなくなるほどでした。でも心のそこには空しさがありました。

 そんな私がある時、礼拝に誘われました。伝道集会でした。紆余曲折はありましたが私はキリスト者になりました。そればかりか伝道者として生きるよう、神さまから召しを受けました。そして思いました。神さまは、ずっと以前から私を目に留めてくださり、教会の礼拝へ導き、信仰者へと導き、神学校へ行くように導き、そして牧師として働くように導いてくださったのだと。そしてキリストを宣べ伝える働きのために命をささげるようなことがあっても、私は後悔しないと思いました。イエス様は、神さまの御心にご自分の命をささげられました。神さまは、信仰を持つ以前の私の願いを覚えてくださり、私を導いてくださいました。

 この神さまの恵みによって、今日の私があります。

あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。
(ペトロの手紙一1章18~19節)

 

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八重のクチナシ 散歩道にて