2021-01-01から1年間の記事一覧
キリストによって豊かにされた私の6回目は<永遠を思う心>です。永遠を思う心が湧き上がってきたのは、年をとってからです。
私は毎朝祈るとき、今日も御国への一日の旅路を歩むことができますようにと祈ります。一日の終わりには感謝。しかし・・・
朝食の時妻が「今日何の日か知っている」と聞いてきました。「何の日だろう?」と言うと「私の誕生日」。
イエス・キリストによって恵みとして与えられた者に、神さまに感謝する心があります。
イエス・キリストの恵みは私の心に平安を増し加えてくださいました。心の底に平安があります。
クリスチャンは洗礼を受け生まれ変わり、神さまの教えに従いたいと考えます。時に、反発する思いも抱きます
当たり前の毎日を当たり前として受けとめるのではなく、かけがえのない一日と受けとめたいと思うこの頃です。
讃美歌の歌詞に感激する友人。平静な自分。この違いって何?
讃美歌を、もとの英語の歌詞で味わって気づいたことがありました。私に課題を突きつけました。
野菊という文部省唱歌。その3番の歌詞には心惹かれるものがあります。
キリストによって豊かにされた私の4回目は<聖書によって考える心>です。私は自分が物事を考えるときの土台を聖書においています。
わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなもの」。 キリスト者はつまずいていないのか?
臨終を前にして床についている自分は、どんな祈りをしてもらいたいのか、そんなことを考えました。
人を批判し裁く思いは誰にもあります。そのような思いが湧いたら、執り成すことが大切です。
信仰者になって愛を知り、神さまの助けにより人を愛する人間に変えられて生きてきました。
若い時から、私は自分が生きるのに精一杯で他者の気持ちを大切にするという考えはほとんどなかったように思います。・・・
讃美歌をもとの英語で味わうことは、詩人の信仰の心に触れることができそうです。
私には毎朝祈る祈りがあります。それは「今日も御国への一日の旅路を歩ませ下さい」との祈りです。
神の戒めを守ろうとした時、心が抵抗することがあります。信仰の成長のチャンスです。
私は多くのクリスチャンが神さまの教えを守らなくてはならないと語るのを聞いてきました。どうして「守らなくてはならない」と考えるのでしょうか
朝起きると、なんか生きるの疲れたな、との思いが湧いてきました。
昨日、「神の言葉に生かされる」と題して、礼拝説教の奉仕をしてきました。
イエス様は種まきのたとえの説明をされ得ました。良い土地に蒔かれた種は豊かな実を結ぶとイエス様は約束されました。
テサロニケ教会の成熟した姿に、教会を誕生させた使徒パウロの姿に静かな感動を覚えます。
そこで思うことは、何が起きても、何があっても一日の終わりには神さまをたたえ、感謝できるなら、それが幸いなのではないかと。
信仰者には、神さまの教えに従うのは無理だとか、従いたくないとか、頑なな思いがあります。どう対処するか。
秋の日に思うこと。老いを生きる日々とは、何のために生きるのかを確認する日々です。
自分の不明を恥じて、残りの人生の課題を知る。
小説『アルプスの少女ハイジ』には信仰のことが書いてあり、読んで善かったです。
幼い頃に抱いた死の恐れ。恐れるたびに心が傷つきました。それが神への恨みとなりました。