クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

2023-01-01から1年間の記事一覧

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(7)永遠の命を持つ人の生き方

永遠の命とは、キリスト者を神に結びつけ、神に結びつけられた者としてのキリスト者を生かす命と言うことができると思います。

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(6)永遠の命ってなに?

神は独り子を信じる者に永遠の命を与えてくださいます。キリスト者は永遠の命に今生きています。

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(5)恵みに満ちた神の愛

神は独り子を世に送り、私たちを救ってくださいました。救いは神の恵みです。神の愛は恵みに満ちた愛と知ります。

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(4)人間を見捨てない神の愛

神の愛はどれほど深く、大きいのでしょうか。それは滅びに値する者を見放したり見捨てたりすることなく、救おうとするほどです。

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(3)私は滅びる側の人間か?

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。 私は滅びる側の人間なのでしょうか。

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(2)神に見捨てられる滅び

聖書が語る滅びとは何か。神に見捨てられることと私は考えています。

ヨハネ3章16節を思いめぐらす(1)滅びについて

ヨハネ 3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 滅びとは何でしょうか。

戦争を覚えての祈り

ろしあとうくらいな、イスラエルとハマスの戦争を覚えての祈りです。

老いを生きる

今日は久しぶりに馬見丘陵公園に行きました。林があり、池があり、花壇があります。

迫害する者のために祈りなさい

敵を愛しなさいに続いて、迫害する者のために祈りなさいと主イエスは教えます。迫害する者を敵と見なせば、彼は私を攻撃しているのです。

敵を愛しなさい(続き)

敵を愛しなさい。この命令はキリスト者に向けられています。キリスト者がこの命令に従うのは、天の父の子となるためとあります。

敵を愛しなさい

今週は「敵を愛しなさい、迫害する者のために祈りなさい」とのイエスの言葉を読み、思いめぐらしています。

天国に持っていける思い出

「天国に一つだけ思い出を持っていけるよ」と言われら・・・. 自分はどの思い出を選ぶのか。

ガザを覚えての祈り

パレスチナの地、ガザを覚えての祈り。

神の愛を思いめぐらす(6)

私自身が神の愛を知ったために、自分に何が起きたのか、3つの変化を自覚しています。第一に、心の深いところに平安と喜びがあります。それは神との間に平和を得ているからです。

神の愛を思いめぐらす(5)

聖書は、私たちに対するキリストの愛についても語っています。 「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように」

神の愛を思いめぐらす(4)

神の愛はどれほどの愛?それは人間を絶対に見捨てないほどの愛であり、神の子と呼ばれる資格のない者をなお神の子と受け入れてくださるほどの愛。

説教 何を大切にして生きるか

今週10月8日、伝道礼拝に招かれ、説教奉仕をしました。 ~~~~~~~~~~ 聖書 創世記3章1~13節 マタイ福音書 5章9節 説教 何を大切にして生きるか ~~~~~~~~~~

老いてもチャレンジ?

新しく便利な道具が出てきます。色々な場面で機械化、自動化がなされています。老いた者には利用することへの不安、ためらいが生まれます。

神の愛を思いめぐらす(3)

人は自分の罪を知るとき、神の愛を知ります。愛されるに値しない自分を愛する神の愛。

神の愛を思いめぐらす(2)

ヨハネ一3:1 「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい」。 考えてみました。

神の愛を思いめぐらす(1)

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。神の愛ってどれほどの愛なのでしょうか。

その時は来る

「その時は来る」という言葉が、若い時から私の心の中にあります。どんなに遠いように見えても、その時は必ず来ることを体験しました。

離縁についての教え

マタイ福音書で離縁についての主イエスの教えを読み思いめぐらしました。長年の結婚生活に対する神さまの支えに感謝しました。

礼拝説教 神の救いが目指すもの

今週10月1日、無牧の教会の礼拝説教奉仕をしましたので、その説教を紹介します。 聖書 詩編8編 ローマ 3:21~26 説教 神の救いが目指すもの

讃美歌536番 むくいをのぞまで

讃美歌536番 むくいをのぞまで。この讃美歌に叱られるような思いをしました。

終わりを見て今を生きる

終わりを見て生きる、それが私の人生観です。自分の命の終わりと世界の終わりの終末。この二つを見て今を生きます。

神の聖定

御子の似姿になること、キリストに似た者となることはキリスト者の目標です。

失った神の栄光の回復

失った神の栄光の回復

私につながっていなさい

昨日は教会の祈祷会。ヨハネ福音書15章1~17節を共に読み、しばらく思いめぐらし、各自が心にとまった聖句を紹介し合いました。