クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

2024-10-01から1ヶ月間の記事一覧

聖書小黙想 ペトロの手紙一1章18~19節

私は若い日、むなしさを覚えていました。聖書には空しさからの救いについて明確な記述があります。

救い、神との交わりという視点(5/5)

私が神との交わりに生きようとしたとき、神を知る努力をしました。聖書を通して、私たちは神を知ることができます。また人はいかに生きるべきか、神さまがどのように考えておられるのかも知ろうとします。これもまた聖書に書いてあります。

救い、神との交わりという視点(4)

信仰とは神との交わりに生きること。神との交わりに生きるとき、人は幸いな歩みをします。救われて生きるとは、神との交わりに生きることです。

万事が共に働き益となる

「万事が益となるように共に働く」との聖書の言葉を思いめぐらし、適用することにしました。

救い、神との交わりという視点(3)

旧約聖書は、イスラエルの歴史が神との交わりをないがしろにする歴史であることを明らかにしています。

救い、神との交わりという視点(2)

アブラハムは神から呼びかけられ、神との関わりに歩みました。イスラエルの民は奴隷からの助けを求め、神と民とされ、神との交わりに生きる者とされました。

救い、神との交わりという視点

救いとは罪の赦しと考えるのは、人間の視点です。神はイエス・キリストを信じる者を御自分との交わりに迎えるのです。だからイエス・キリストを信じる者を義としたのです。

いざ、信仰へ

私は若いときこう考えました。死を越える希望を本当に信頼できるようになるためには、この世にあって神の約束に生きる歩みをしようと。

悔い改めを考える(5/5)神の国に向かって生きる

キリスト者にとって悔い改めとは、神の国に向かって生きる者として、自分を変え、また変えられることと考えます。

礼拝説教 神の憐れみが導く悔い改め

一昨日の日曜に説教奉仕をしました。以下その原稿です。 ~~~~~~~~~ 聖書 ローマの信徒への手紙2章1~16節 説教 神の憐れみが導く悔い改め ~~~~~~~~~~

老人キリスト者の生きる意味

老いの中にある自分の生きる意味について考えてみました。

きたらせたまえ 主よ、み国を

讃美歌228番の歌詞。今の私の願いを歌っています。 憎みあらそい あとを絶ちて 愛と平和は 四方にあふれ みむねの成は いずれの日ぞ きたらせたまえ 主、御国を

老いを生きる

老いる中、衰えを受け入れる中で、死を受け入れる心が育っていくのかも知れないと思うこの頃です。

悔い改めを考える(4)信仰者としての生き方の転換

k悔い改めは、聖書に基づき、生き方を変えるという意味もあると思います。その結果、キリスト者は神の子として成長していきます。

悔い改めを考える(3)悔い改めは目標を目指す

悔い改めは、目標を目指しています。木キリスト者が聖なる者、神の子となるという目標を目指しています。

死の扉の向こう側にあるもの

訃報が届きました。この世にあって抱く死のイメージ、キリスト者として抱く死後の希望のイメージ。

悔い改めを考える(2)具体的な罪の悔い改め

悔い改めには、具体的な罪を行わないようにすることがあります。同じ罪を繰り返さないのです。自分が犯した罪を悔い反省するだけでは、不十分です。繰り返す可能性があります

悔い改めを考える(1)生き方の転換

イエス、ペトロ、パウロは皆、悔い改めるようにと語りました。イエス様を信じない生活から信じる生活へと生き方の転換を語りました。悔い改めは、生き方の転換を意味します。