2024-11-01から1ヶ月間の記事一覧
最後の審判は、この世の終わりの出来事ですが、聖書によれば、神による創造という始まりがあります。この創造を抜きに終わりを考えることはできないと考えます。
信仰の父アブラハムは天の故郷を熱望していました。そこで私も。
聖書は最後の審判について語ります。現代人としては最後の審判を信じるのは簡単ではありません。これを信じることにチャレンジします。
老いを生きる今の私の小さな目標の紹介。
キリストが世の終わりに来られるとき、キリスト者は復活し、御子キリストの似姿に変えられます。
聖書は驚くべきことを語ります。イエスがいつの日か分かりませんが、この世においでになり、この世に終わりが来ると語ります。これをいかにして信じるのか。
福音は救いをもたらす神の力です。救いは罪からの救いでもありますから、キリストの復活は、私たちに罪に対する勝利をもたらす、神の力であることがもっともっと力強く宣べ伝えられて欲しい
先日、ロマ書8章29~30節を読んで、自分が信仰者になったのは、神の選びがあったこと、自分が神に愛されていたからだとあらためて思いました。
アブラハムは信仰の父と呼ばれます。自分が生きている間には実現しない神の約束を信じるという点でも、アブラハムは私たちの先輩であり、模範であり、父です。
私がキリスト者になって、いつの頃か思い出せませんが、キリストの復活は私の出来事であると考えるようになりました。だから私は、キリストの復活を真剣に信じるようになりました。
キリストの復活は初穂としての復活と聖書は語り、キリスト者もまた復活することを教えています。
聖書はイエスの死者からの復活を語ります。復活の意味、意義について思いを向けます。
永遠の命には、キリスト者は死後、上野本で永遠を生きるとされます。
永遠の命を得てキリスト者は生まれ変わり、神との交わりに生き、神の子として、父なる神と父と子の関係に生きるようになります。
神の独り子を信じるものには永遠の命が与えられます。ヨハネ福音書では、信じる者は既に永遠の命を与えられていると書かれています