アイデンティティー
オタマジャクシを見て蛙になると信じられるでしょうか。青虫を見て空を飛ぶ蝶になると誰が信じられるでしょう。
憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容の五つを少しでも身につけた人になることを目指したいと思います。
クリスチャンは聖なる者。聖なる人は汚れた行いを捨てて歩みます。
聖なる者として生きることは、恐れるべきことではなく、むしろ光栄なことであることを御言葉から味わいたいです。
聖なる者というクリスチャンのアイデンティティーは、大切なものです。聖なる者として歩む第一歩、それはこのアイデンティティーを受け入れることです。
クリスチャンは神の前に義とされ、二度と罪に定められることはありません。だから、喜んで神の子として生きていきます。
クリスチャンは神の前に義とされ、二度と罪に定められることはありません。だから、喜んで神の子として生きていきます。
讃美歌の歌詞に共感する体験を振り返ることにより深まる讃美歌の味わい。
新しく生まれた者、これはクリスチャンのアイデンティティーです。このアイデンティティーに生きる、そこに信仰者の成長があります。
神の子というクリスチャンのアイデンティティは何を意味しているのでしょうか。その紹介です。
いつも喜んでいなさい。主において常に喜びなさい。クリスチャンにとって喜びは生きる原動力となる者です。
旧約聖書に描かれたイスラエルの民の歩みから学べることを紹介します。 1.神はご自身を救いの神として現される神。 2.神はイスラエルの民を愛し、交わりを求める神
ダビデ王は、神の民イスラエルの王として神を畏れ敬う王でした。彼にも失敗がありましたが、神は信仰に生き続けた王でした。
イスラエルの民は、王を立てることを願い、神に信頼するより、人間の力に頼ろうとし、神の民というアイデンティティーを捨てようとします。
神の大いなる御業を体験したイスラエルの民でしたが、彼らが抱く信仰は未熟な信仰でした。
神の民としてのイスラエルは神の民として成長していく。そのための神の配慮。
イスラエルの民はありありと、まざまざと神のみ業を見ました。それで「神の民」として生きていく決心をすることができました。
アイデンティティーという言葉、わかりやすく説明してみました。わかりにくい言葉です。
旧約聖書に登場するイスラエルの民、彼らは「神の民」というアイデンティティーに生きるように神に召された民でした。
クリスチャンのアイデンティティーはクリスチャンのさまざまな面を明らかにしています。
クリスチャンのアイデンティティーは「神のもの」です。神さまはわたしたちを御自分のものとして大切にしてくださいます。
クリスチャンのアイデンティティーが「聖なるもの」であるという時、クリスチャンが世の他の人々から区別されて、イエス・キリストを信じ、神との交わりに生きる人であることを意味します。
聖なるものとは、他のものと区別されて特別なものであるとの意味です。安息日を覚えてこれを聖別せよ。特別な日にするのです。
聖書は信仰者のアイデンティティとして「聖なる者」を語ります。クリスチャンは聖なる者なんです!
クリスチャンのアイデンティティーに向き合うことができるのは、それなりの期間信仰生活を送ってきた人ではないかと思います。
クリスチャンのアイデンティティー、それは福音と考えることができます。
クリスチャンは「新しい命」を与えられています。新しい命を与えられ、新しく生まれました。そして神の子と呼ばれます。
神の子、これもクリスチャンのアイデンティティーです。私たちは神に愛される神の子です。
洗礼を受けたキリスト者、クリスチャンの心には聖霊が住んで下さいます。聖霊を内に宿す人、これもクリスチャンのアイデンティティーです。
私は自分が罪深い者であるとの認識を持っていますが、私のアイデンティティーは、神の目に正しい者、です。