クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

イエス・キリスト

人生航路の第二段階(10)罪の償いの供え物

イエスは死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで、神に対して従順に歩まれました。この方が私たちの罪の償いの供え物として十字架で亡くなられました。

自由、解放をもたらす福音

福音は信じる者に自由、解放をもたらすものだと思います。新約聖書に出てくる重要な解放は三つあります。罪からの解放、律法からの解放、死の恐怖からの解放。

人生航路の第一段階(1)罪の支配下で生きる

人生航路の第一段階は、生まれて方キリストに結ばれて生きることを恥始める前々までの段階です。

わたしの憧れ

使徒パウロはこの世を去ってキリストと共にいることを熱望しています。パウロの心境に近づきたい。

キリスト、わが内に生きたもう(5)わが告白となる

キリストをもっと身近に感じたい、キリストと私が結ばれている、ひとつであることを実感できたらという思いがあります。

キリスト、わが内に生きたもう(4)罪に打ち砕かれるパウロ(2)

パウロはキリストに結ばれて生きる信仰者となり、罪を克服して生きる者とされました。

キリスト、わが内に生きたもう(4)罪に打ち砕かれるパウロ(1)

パウロにとって、キリスト者となることはキリストに結ばれ、キリストとひとつになることを意味していました。そのことは彼の生き方に現れましたが 彼の内面での出来事でもあったのです。

キリスト、わが内に生きたもう(3)キリストとひとつに生きるパウロ

キリストと結ばれた者としてキリストを宣べ伝えています。彼の経験派、彼がキリストとひとつにされていることを示します。

イエス様の復活を覚えて

窓から裏山を見ると若葉の緑がきれいです。先日まで裸であった木々が新しい葉を身にまといました。復活の喜びを暗示します。

キリスト、わが内に生きたもう(2)キリストに結ばれた者

使徒パウロは、キリスト者のことをキリストに結ばれた者と語ります。キリストに結ばれている、それがキリスト者の特徴あるいは本質だというのです。

キリスト、わが内に生きたもう(1)

生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。この聖句を自分のものにしたい。

人々から侮辱される主イエス

十字架につけられ、人々からあざけられた主イエスはどんな気持ちだったのでしょうか。

十字架を背負うイエス

十字架を背負ってゴルゴタの丘に向かうイエス様。どんな気持ちで十字架を背負っていたのでしょうか。

主イエスの思い

受難節を過ごしている今、イエス様はどんな思いで苦難の時を過ごしておられるのか、思いめぐらしました。

死ぬばかりに悲しい

ゲッセマネの園でイエス様が祈る場面を思いめぐらしました。一番印象に残ることは、イエス様が恐れもだえたこと、そして「死ぬばかりに悲しい」と言われたことです。

主の晩餐(つづき)

主イエスが弟子たちにパンとぶどう酒を与えたのは何のためだったのか。三番目の意義について紹介

主の晩餐

主イエスは弟子たちと最後の食事をしました。その中で弟子たちに裂いたパンを与え、杯を与えた主イエス。何のために?

パウロの考える洗礼

私たちは洗礼を受け、クリスチャンになりますが、パウロは洗礼を通して、私たちはキリストに結ばれると書きます。

キリストを知ることのあまりのすばらしさ

そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストを知る素晴らしさとは?

わが内に生きておられるキリスト

生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。パウロはどんな気持ちでこの告白をしたのでしょうか。

父の独り子の栄光を見た

栄光を見るってどういうことでしょうか。栄光を見ると言っても、肉眼で見るわけではなく、見るなら心の目です。

私もキリストの証人

ヨハネ福音書には神から遣わされたヨハネは光について証しするために来た、と書かれています。私もキリストの証し人として語ってみたいと思います。

クリスマスに思う(5)神が人となった舞台裏の続き

パウロは「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず」と書いています。キリストはいつ、「固執しようとは思わ」なかったのでしょうか。

クリスマスに思う(4)神が人となった舞台裏

神は人となられたと言われても戸惑います。聖書の言葉をもとに黙想してみました。

クリスマスに思う(3)神が遣わす救い主

だれが全人類の罪の償いをすることができるでしょうか。現実の人間は、自分自身罪を犯します。全人類の罪の償いをできる人は、全く罪のない人だけです。

クリスマスに思う(1)救い主の到来

今度の日曜日は教会でクリスマス礼拝が行われます。神さまは救い主をこの世に送り、私たちのために救いの御業を行われました。そもそも神さまは、なぜ救い主をこの世に送られたのでしょうか。

信仰の原理

信仰生活でやっかいなのが「実感」です。実感がないとなかなか信じられないと問題があります。信じたいけど信じられない、信じられないけど信じたい、と悩みます。

クリスマスの恵みを考える(3)

イエス・キリストは神であるのに人となりました。なぜ人となられたのでしょうか。その答えは、人間を愛しておられたからです。

クリスマスの恵みを考える(2)

キリストは神であるのに人となりました。これはどういうことでしょうか。たとえで考えています。

クリスマスの恵みを考える(1)

イエス・キリストは神であるのに人となり、人を救うために十字架で死なれました。神が人となり、人のために死ぬ、こういうことでしょうか