イエス・キリスト
イエス・キリストの十字架を神の計画という視点から考えます。神さまは世界を創造する時に十字架を計画しておられました。
十字架の上でひとびとからののしられ、あざけられ、侮辱されたいえす。みじめなすがたをさらすのはなぜ?
キリスト者が新しい人として生きていく理由。第一のりゆは神の国を目指して生きているから。
イエス様は御子として父なる神さまに親しみを感じていると思います。自分もそのような親しみを感じたいとの願いがあります。
イエス様は「あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る」と語り死刑にあたると裁かれました。。
ゲッセマネの園で祈り。祈りの中で、十字架への道を決断するイエス。そして「立て、行こう」と前進するイエス様
ゲッセマネの園で主イエスは祈られました。そのとき、「死ぬばかりに悲しい」とイエス様は言われました。何を悲しまれたのでしょうか。
イエスは真の神そして真の人。このイエスは私にどんな励ましをもたらすのでしょうか。
キリストに結ばれた私たちは死にました。どういうことでしょうか。このことを理解することは救いの大いなる恵みへと私たちを導きます。
キリストに結ばれるってどんなことでしょうか。キリストがいつもわたしと共にいてくださるということ?それ以上のことです
イエス・キリストを信じる人はキリストに結ばれています。もしキリストに結ばれていると考えないと私たちは根無し草の信仰者になってしまいます。
私は命であるとイエスは語りました。あたらしいいのちにいきる、それはイエス・キリストととの関わりに生きることです。
イエス様はラザロの死を嘆きなく人たちを見て、心に憤りを覚え、また涙を流されました。
「わが君イエスよ われをきよめて」。 イエス様は私を清めてくださる、うれしいメッセージです。
「主われを愛す」の一節。 みくにの門を ひらきてわれを 招きたまえり いさみて昇らん 希望を与える言葉です。
主イエスは、「さかえを捨てて」人となられ、十字架につき、私を救ってくださいました。感謝です。
主われを愛す。クリスチャンならだれもが知っています。主の強さを知る人は幸いです。
イエス様が群衆に向かって叫ばれた言葉を、私たちも群衆の一人になって聞きます。
人は死んだらどこへ行くのでしょうか。イエス様のもとに行くと私は信じています。
主イエスは、私にとって、従うべき方、倣うべき方です。いかにいきるか、これで決まりです。
主イエスがじゅうじかでなくなられました。それゆえ、私は自分が死ぬことを受け入れます。しゅにならうことをたいせつにしていますので。
私にとって主イエスは、私にかたりかけてくださるおかたです。
私にとってイエス様は、「行ってあなたも同じようにしなさい」と語りかけるおかたです。
「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」。(ローマの信徒への手紙6章3~4節)。 信仰を持…
自分の罪を知らされるとき、赦しのあることを知ることは幸いです。自分の罪を知った私は十字架のキリストを仰ぎました。
イエス・キリストは、私たちの人生にマイナスをつけるお方、不思議なお方です。私の人生はぷらすにかえられました。
イエス様は命のパン。イエス様はわたしの飢え渇きをいやして下さいました。
「わたしの主キリスト・イエスを知るあまりのすばらしさ」。これは使徒パウロの言葉です。このように語るパウロは、キリストについてこう語ります。 「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています…
朝の散歩では時間が早く、境内に入ることができませんでしたが、先日、ようやく大仏殿の中に入りました。建物だけでなく、盧舎那仏(大仏)の大きさに圧倒されました。でも使徒パウロは、キリストを知ることのすばらしさに圧倒されたんだなと思いながら、見…