クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

イエス・キリスト

受難節で思いめぐらしたこと(二)

イエス・キリストの十字架を神の計画という視点から考えます。神さまは世界を創造する時に十字架を計画しておられました。

受難節で学んだこと(1)

十字架の上でひとびとからののしられ、あざけられ、侮辱されたいえす。みじめなすがたをさらすのはなぜ?

A長老とBさんの対話(6)なぜ新しい人として生きるの?

キリスト者が新しい人として生きていく理由。第一のりゆは神の国を目指して生きているから。

神さまに対する親しみ

イエス様は御子として父なる神さまに親しみを感じていると思います。自分もそのような親しみを感じたいとの願いがあります。

わが主、イエス

イエス様は「あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る」と語り死刑にあたると裁かれました。。

祈り、そして決断

ゲッセマネの園で祈り。祈りの中で、十字架への道を決断するイエス。そして「立て、行こう」と前進するイエス様

イエス様の悲しみ

ゲッセマネの園で主イエスは祈られました。そのとき、「死ぬばかりに悲しい」とイエス様は言われました。何を悲しまれたのでしょうか。

真の神であり、真の人であるイエス

イエスは真の神そして真の人。このイエスは私にどんな励ましをもたらすのでしょうか。

クリスチャンは罪に対して死んだ

キリストに結ばれた私たちは死にました。どういうことでしょうか。このことを理解することは救いの大いなる恵みへと私たちを導きます。

クリスチャンの成長(45)キリストに結ばれて-3

キリストに結ばれるってどんなことでしょうか。キリストがいつもわたしと共にいてくださるということ?それ以上のことです

クリスチャンの成長(44)キリストに結ばれて-2

イエス・キリストを信じる人はキリストに結ばれています。もしキリストに結ばれていると考えないと私たちは根無し草の信仰者になってしまいます。

クリスチャンの成長(27)新しい命に生きる-5

私は命であるとイエスは語りました。あたらしいいのちにいきる、それはイエス・キリストととの関わりに生きることです。

私のためにイエスは涙を

イエス様はラザロの死を嘆きなく人たちを見て、心に憤りを覚え、また涙を流されました。

主われを愛す(4)

「わが君イエスよ われをきよめて」。 イエス様は私を清めてくださる、うれしいメッセージです。

主われを愛す(3)

「主われを愛す」の一節。 みくにの門を ひらきてわれを 招きたまえり いさみて昇らん 希望を与える言葉です。

主われを愛す(2)

主イエスは、「さかえを捨てて」人となられ、十字架につき、私を救ってくださいました。感謝です。

主われを愛す(1)

主われを愛す。クリスチャンならだれもが知っています。主の強さを知る人は幸いです。

イエス様の語りかけを聞く

イエス様が群衆に向かって叫ばれた言葉を、私たちも群衆の一人になって聞きます。

私にとっての主イエス(8)死んだらイエス様のもとに

人は死んだらどこへ行くのでしょうか。イエス様のもとに行くと私は信じています。

私にとっての主イエス(7)主に倣う、主に従う

主イエスは、私にとって、従うべき方、倣うべき方です。いかにいきるか、これで決まりです。

私にとっての主イエス(6)死においても

主イエスがじゅうじかでなくなられました。それゆえ、私は自分が死ぬことを受け入れます。しゅにならうことをたいせつにしていますので。

私にとっての主イエス(5)語りかけるお方

私にとって主イエスは、私にかたりかけてくださるおかたです。

私にとっての主イエス(4)隣人愛の教え

私にとってイエス様は、「行ってあなたも同じようにしなさい」と語りかけるおかたです。

私にとっての主イエス(3) 私は新しい人!

「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」。(ローマの信徒への手紙6章3~4節)。 信仰を持…

私にとっての主イエス(2) 十字架のキリスト

自分の罪を知らされるとき、赦しのあることを知ることは幸いです。自分の罪を知った私は十字架のキリストを仰ぎました。

私にとっての主イエス(1) マイナスをつける方

イエス・キリストは、私たちの人生にマイナスをつけるお方、不思議なお方です。私の人生はぷらすにかえられました。

わたしは命のパンである

イエス様は命のパン。イエス様はわたしの飢え渇きをいやして下さいました。

わたしの主キリスト・イエスを知るあまりのすばらしさ(3/3)

「わたしの主キリスト・イエスを知るあまりのすばらしさ」。これは使徒パウロの言葉です。このように語るパウロは、キリストについてこう語ります。 「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています…

本気で信じよう

朝の散歩では時間が早く、境内に入ることができませんでしたが、先日、ようやく大仏殿の中に入りました。建物だけでなく、盧舎那仏(大仏)の大きさに圧倒されました。でも使徒パウロは、キリストを知ることのすばらしさに圧倒されたんだなと思いながら、見…