人生
私たちは神の戒めをどのように受けとめたらよいのでしょうか。神の戒めは私たちを祝福するものとしてあると私は信じます。
私はクリスチャンが「神さまの戒めを守らなければならない」と語るのを何度も聞きました。なぜ、守らなければならないのかと考えるのでしょうか。
キリストに結ばれたキリスト者の特徴として、神を知り、神を喜び、神を誇ることがあります。このことを主イエスの語られたたとえが明らかにしています。
洗礼を受け、礼拝生活、信仰生活を続け、聖書を読み学び、み言葉に従う歩みの中で信仰者は成長していきます。
ローマ 8:1 従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。
キリストによって救われたキリスト者はどんな人かを描写します。
キリスト者は地上の生涯を終えると神の国、神さまのもとに行きます。住む場所が変わります。それと同じように私たちがキリストを信じ、キリストに結ばれると住む場所が変わります。
キリスト者は、律法の下にはいない、律法に対しては死んだ者、律法から解放されている、とあります。どういうことでしょうか。
パウロは罪の赦しの先にあるものを見ています。イエスの語られた放蕩息子の物語は赦しの先にあるものを見せてくれます。
信仰によって義とされることを語る時、パウロは罪の赦しを語りません。なぜなのか、と思います。
イエスは死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで、神に対して従順に歩まれました。この方が私たちの罪の償いの供え物として十字架で亡くなられました。
「信仰によって義とされる」とはどういうことなのか、考えたいと思います。
現実の世界の中で信仰をもって生きることは簡単ではありません。色々な場面で罪との戦いがあります。教会に集う一人ひとりの信仰者が、それぞれの場で戦っています。
キリスト者は時に深刻な罪との戦いに直面します。神さまの御心に従いたくないという思いが、私たちの心にあるのです。
すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、
キリストに結ばれた人は、キリストと共に死にます。罪に対して死に、罪から解放されます。
キリストに結ばれるとどうなるのでしょうか。キリストと共に葬られ、キリストと共に復活する。
キリストに結ばれた非違のことを聖書は、義人、神の子、新しく造られた者と呼んでいます。
聖書が語ることが信じられない時があります。信じるべきだと思いつつも信じられない。そんな時どうしますか?
人生航路の第二段階は、キリストに結ばれたことを自覚して生きる段階です。まずキリストに結ばれていることを信じます。
人生航路の第一段階を生きる人の特徴は、自分の力で生きることであり、そして様々な問題を抱えての歩みです。
人生航路の第一段階は、生まれて方キリストに結ばれて生きることを恥始める前々までの段階です。
私たちの人生航路には3つの段階があるのではないかと私は考えています。第一の段階は、この世に誕生してから、イエス・キリストに結ばれて生きるまで。
クリスチャンは救いの約束をいただいて、神の国を目指して人生を歩みます。
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私の人生に彩りを添えてくれた趣味。神さまにつながる趣味。
神さまの約束をめぐる対話。人生は約束の地を目指す旅。出エジプトの物語は、私たちの話。
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劣等感で30年以上悩んできました。つらかったですね。
人生でつらかったこと、三回目。人を恐れることに伴うつらさです。