復活
キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。
教会が福音として伝えることは、簡単に信じることができるとは限りません。むしろ信じがたいことを宣べ伝えていると言えるのではないかと思います。
この世での生涯はいつの日か終わりを迎えます。それが遠くないことを感じる年齢になりました。信仰者としての大きな楽しみは、復活した時の自分がどんな自分なのかを見る楽しみです。
神の子とされたキリスト者は、神の御子に従う歩みをし、神の御子に近づく歩みをします。そして神の国に迎えられるとき、神の御子に似た者に変えられます。救いの完成です。
信仰には「すでに」と「いまだ」という面ががあります。復活にも当てはまります。キリスト者は、「すでに」復活しているという面があります。
終末の到来について信じる理由、根拠を見出したいというのが人間の心情です。私自身が信じる理由として考えていることを紹介します。
マルコ福音書16章1~8節、イエス様の復活記事を読んでの黙想です。
窓から裏山を見ると若葉の緑がきれいです。先日まで裸であった木々が新しい葉を身にまといました。復活の喜びを暗示します。
自分なりにキーワードを念頭に置いて聖書を読むと、気づきが与えられます。今回与えられた気づきは・・・
キリストの復活がなかったら、あなたがたは今なお罪の中にあるとパウロは語りました。キリスト者は復活を信じ、罪の支配から解放されました。
神はキリストを復活させました。これは神の大いなる力によります。この力が私たちにも働くとすれば
キリストの復活をめぐる問答です。どう信じるのか、どのようにして信じたのか。