クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

死の受容

人は死んだらどこへ行く?

人は死んだらどこへ行くのでしょうか。使徒パウロはこの世を去ってキリストと共にいたいと語り、イエス様は十字架の上で一緒に十字架につけられた人に「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と語られました。

晩年とは死と向き合う年

息子の家で休んでいる時、暮らしの手帖82号を読んでいた時、我が意を得たりと思える文章に出会いました。それは細谷亮太氏(聖路加国際病院小児科医師)の文章です。彼は松田道雄(小児科医、育児の本で有名)の文を引用します。 晩年とは死と向き合う年であ…

矢田丘陵にハイキング

昨日は矢田丘陵にハイキングに行きました。去年一年間は、山歩きは自制していたので、楽しみな一日でした。スミレも沢山咲いていて、恵みの一日でした。コースは矢田子どもの森、東明寺、矢田寺と進み、ここで昼食にしました。桜の木が何本も花を満開にさせ…

アブラハムを思う

家の中で荷物をずっと整理していたので、気分転換がしたくなり、午後、若草山に登りました。家から15分ほどで春日大社に着き、さらに10分ほど歩くと、若草山の登山ゲートに着きます。観光客も沢山います。中国人が多くいます。30分ほど登って山頂。帰りは春…

最善はこれから

昨日、友人から手紙が来ました。その手紙の最後に書かれていた言葉を読んで、とてもうれしくなりました。 老いゆけよ、我と共に! 最善は これからだ。 これはロバートブラウニングという人の詩に書かれている言葉とのこと。 もとの詩は、 老いゆけよ、我と…

私を迎えてくださる復活の主

主イエスは十字架に向かい、ご自分の死に向かって歩まれました。十字架の死、それは残酷な死です。見せしめの死です。その死を自ら死ぬことを選ばれました。そして十字架の上で、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と祈り、亡くなられま…

死の受容(3)

芥川龍之介は『河童』という短編小説を書いています。上高地には河童橋という有名な橋があります。主人公が上高地から穂高に登ろうとして出かけます。途中で霧が濃くなり登山を中止することを考えますが、突然河童と遭遇します。その河童を追いかけるうちに…

死の受容(2)

人は自分の死をどうすれば受け入れることができるのでしょうか。死を越える希望があれば死を受け入れることができるのでしょうか。死を越える希望があれば、死を受け入れることができるように思えますが、死を受け入れることと死を越える希望を持つことは同…

死の受容(1)

先日NHKのEテレの "On my way " という番組を見ました。「人生の途中で」という番組名です。「死を前にして人は何を思うのだろう」が今回のテーマでした。そして自分の死と直面した人を紹介しています。野中秀訓さん。野中さんは47歳で、化粧品の原料を…