クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

老いを生きる

礼拝説教 私たちはキリストのもの

先日、無牧の教会の礼拝説教奉仕をしました。 旧約 詩編 23編 新約 ローマ 1:1~7 説教 私たちはキリストのもの

老いという重荷

2,3日前から、老いを生きるのって重荷を負うことではないか、と思うようになりました。

讃美歌284番 主のとうときみことばは

私はある時、この世の中で最も信頼できるものは何かと考えました。最も信頼できるものに出会い、それに基づいて考え生きるなら、自分の歩みは確かになると考えました。

老人と生き甲斐

老人とのしての私は明日死ぬことになっても当然だという思いを持ちながら、しかしまだその時ではないとの思いを抱いています。・・・

葬儀に出席しての気づき

今日は奈良高畑教会で行われた葬儀に出席しました。大きな気づきを与えられました。

老人キリスト者の特権

今週は詩編90編を読んでいます。以前から黙想したいと思っていた詩編です。

讃美歌21 368番「新しい年を迎えて」

元旦礼拝で、「新しい年を迎えて」という讃美歌を歌いました。ふと思い、youtube でこの曲を聞きたいと思いました。すると。

讃美歌404番(山路越えて)

讃美歌404番(山路越えて)には心惹かれるものがあります。「みちけわしく ゆくてとおし こころざすかたに いつか着くらん」。

主と共にある平安の日々

月曜日のブログに「毎日単調な日々を過ごしていると、ふと自分は何のために生きているのだろうという思いが心をよぎります」と書きました。新たな思いが来ました。

老いの中にあって

先日眼科医に行き、眼瞼下垂の症状があることに気づき、紛れもない老化の現実を見る思いがしました。

老いて初めての経験

老いて初めて経験することって色々あります。今回の経験は?

老いの恵み

老いを生きる恵みとは何か、考えさせられるこの頃です。老いは一つの弱さです。しかし弱さがあるゆえに神との関わりが真剣になるのは恵みだと思います。

ただ主を思う

讃美歌11番 生くるも死ぬるも、ただ主を思う ゆるがぬこころを あたえたまえ

訃報が続く

「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10:17)。訃報を聞くことによって何が始まるのでしょうか。

老いてはじめて気づくこと

老いて初めて気づくこと。老いを生きる者への励ましと慰めの歌詞。

老いの日々

先週は頭痛に悩みました。ストレスが原因らしく、ストレス発散のために、山里に出かけ、ウォオーキング。

大声で讃美歌を

年をとって説教をするときに気をつけなければならないのは、キチンを声を出すことです。喉の筋肉を使わなくなったせいか、普通にしゃべると声が出にくいというか、声がかすれるのです。

老いの日々

説教奉仕をしたG教会での出来事。聖なるものを見たという体験。

生活と習慣

人間の生活は習慣から出てきているように思います。よい習慣を作ることはよい人生を生きることにつながります。

日曜の午後

日曜午後、双子の孫と一緒の時間を過ごしました。

まざまざと知る老い

今朝食後、歯を磨いているときに鏡に映っている自分の顔を見ました。そこには紛れもなく老人の顔が写っていました。

アブラハムの信仰

アブラハムは自分が生きている間には実現しない神さまの約束を信じました。老いた私はこのアブラハムが好きです。

世界にひとつだけの花

誤嚥性肺炎を防ぐために喉の筋肉を鍛える必要を考えていました。発声練習のために音程の高い歌を歌うことが推奨されていました。

あらためて思う神の導き

牧師を引退して奈良に住み5年が過ぎました。神さまの導きの中を過ごすことができ感謝です。

貴重な日々

夫婦二人の生活、一日の終わりに感謝できる日々はとても貴重。

いつか死ぬ、それまで生きる

昨日の新聞を見ていたら、本の広告がありました。その本の題名は『いつか死ぬ、それまで生きる』でした。この本のタイトルが、心に響きました。

小坂忠さんの訃報を聞いて

小坂忠さんの訃報を聞いて心に去来した思いを書きました。

わたしの憧れ

使徒パウロはこの世を去ってキリストと共にいることを熱望しています。パウロの心境に近づきたい。

老いを生きる恵み

老いを生きる恵みって何だろうと思いました。

老いの生活の目標 

老いの生活は達成を目指すのではなく、日々の生活を感謝をもって終えることに目標をおけばよいと知ります。