聖書黙想
私たちが信仰者として生きる時、さまたげるものがあります。「実感」です。実感できないものは信じられない、と考え、信仰がそこでストップしてしまうのです。
神さまは、私たちの罪を赦し義としてくださいます。そして私たちを聖なる者、汚れのない者、御子の姿に似た者として下さいます。それゆえ、神の前に私たちは義です。
罪を繰り返し犯して歩む信仰者は神の前に義なのでしょうか。
聖書には頑なな心を持つファリサイ派の人が登場する。私たちももしかしたら、かたくなさをもちあわせていないだろうか。
「言葉では言い尽くせないすばらしい喜び」。この喜びを私は祈り求めています。
詩編86編4節の言葉をめぐって。「わたしの魂が慕うのは/主よ、あなたなのです」。
イエス様は、わたしたちをほんとうにじゆうにしてくださる救い主です。
イエス様が群衆に向かって叫ばれた言葉を、私たちも群衆の一人になって聞きます。
「わたしだ、恐れることはない」とイエス様は恐れの中にある私たちに語りかけてくださいます。
「よろこんで歳をとる」というタイトルの本が目の前に現れました。私の気持ちを表した本でした。本を読む前に、よろこんで歳をとることについても自分の思いを意識化します。
人からの誉れを求める人はイエスを信じることができません。しかし肉の思いとして人からの誉れを求める思いは湧いてきます。肉の思いとの戦い。勝利を導く神の恵み。
聖書の伝える神は天地の造り主。宇宙に始まりがあります。この神は、宇宙の造り主なのか。
神を愛するとは、神の戒めを守ること。いや神を愛するとは神の心を大切にすること。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」. このよく知られた聖句は「滅び」に言及しています。滅びとは何でしょうか。
家族伝道の模範が聖書に書かれています。聖書の伝道に私たちは学ぶことができますし、伝道の門が開かれていくのではないでしょうか。
ヨハネ福音書1章19~28節を読みました。 <聖書から> 19~20節にこう書かれています。 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、彼は公言し…
ルカ福音書のディボーションが終わり、今日はヨハネ福音書1章1~3節を読みました。 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかっ…
三日ほど前にルカ福音書の最後、主イエスの昇天場面を読みました。その時は黙想をして時間切れ。今日はその続き、適用です。主イエスは弟子たちの目の前で天に上げられ見えなくなりました。主イエスは目に見えない世界に行かれました。マリアから生まれ、十…
三日ほど前にルカ福音書の最後、主イエスの昇天場面を読みました。その時は黙想をして時間切れ。今日はその続き、適用です。主イエスは弟子たちの目の前で天に上げられ見えなくなりました。主イエスは目に見えない世界に行かれました。マリアから生まれ、十…
イエス様の復活を信じることは、終末の事柄を信じることにつながります。共通点は、神のことばは実現する、です。
受難週の聖書黙想。人々に中傷され、あざけられ十字架の道を辿るイエス様。その心中にある思い、覚悟とは何か。
受難週の聖書黙想です。今日はルカ福音書 22章66~71節を読みました。 最高法院での裁判の場面です。「お前がメシアなら、そうだと言うがよい」と問われたイエス様は「今から後、人の子は全能の神の右に座る」と語られました。このことが神を冒とくしたこと…
ペトロのはイエス様を裏切りました。そのペトロを見つめるイエスの眼差しは愛の眼差しでした。
今日の私の聖書黙想を紹介します。受難節の中にあって、受難を語る聖書箇所を黙想しました。 ルカ福音書 22章24~30節 (内容) 過越の食事が終わった後、弟子たちは自分たちの中で誰が一番偉いのかとの議論を始めた。それに対するイエス様の答えが書かれて…
おいしいものは自分でつくる。食べたいものは自分でつくる。そんな思いでスパイスカレーを作っています。今日の夕食は鶏肉のキーマカレー。妻はおいしいと言ってくれました。スパイスカレーは作り方は簡単ですが、スパイスの組み合わせをどうするかが初心者…
ドイツのトゥルナイゼン牧師の葬儀説教『御手に頼りて』(日本基督教団出版局)の中に色々な聖書箇所が引用されていて、それらの聖書箇所を思いめぐらしたいとの思いが私にはあります。そして最近思いめぐらしたのは、コリントの手紙一の言葉です。これはパ…
ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」 イエス様がザアカイの家に入ったことを見てつぶやいた人たちがいます。彼らは神を信じています。神さまは罪深い者を…
私は「神の子」というアイデンティティーを大切に思っています。アイデンティティーには二つの面があります。一つは、神さまが私たちのことをアイデンティティー通りの存在と見てくださるという面です。これは福音、恵み、と言うことができると思います。も…
私が大事にしているアイデンティティーの一つに「神に属する者」があります。イエス様がファリサイ派の人たちに語った言葉があります。ヨハネ福音書8章の言葉です。 わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。神に属する者は神の言葉を聞く…
今日は和歌山県のG教会への礼拝説教奉仕でした。よい天気で気持ちのよい旅ができました。帰り大阪の天王寺駅から奈良行きの大和路快速に乗り、思いめぐらしていると前の席に座っている男性が「この電車は関空(関西空港駅)に行きますか」と聞いてきたので…