聖書黙想
多くの信仰者も自分の人生を振り返れば、神さまの導きを思い出すことができると思います。そこで思います。神さまが私たちを導かれるなら、いつも導かれて歩みたいと。
主イエスは「ただ信じなさい」と、幼い娘が亡くなったとの知らせを聞いたばかりの会堂長のヤイロに語りました。ただ信じなさい。
弱さを起こると聖書にあります。甥から来る衰えを弱さとするなら、これを誇ることができるのでしょうか
ヨハネ福音書に私たちは「恵みの上にさらに恵みを受けた」とあります。私はどんな風に恵みを受けたのか。
救い主イエスの誕生。これは1500年も前のアブラハムに対する約束の実現。1500年を経て実現した神の約束。
「あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています」とパウロは書きます。どういうこと?
イエス様は種まきのたとえの説明をされ得ました。良い土地に蒔かれた種は豊かな実を結ぶとイエス様は約束されました。
神さまは、気落ちした者を力づけてくださる神さまです。神さまに信頼して祈ります。
神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。私に対する神の御心とは。
コリント教会を愛するパウロの愛に驚きます。パウロの愛に神の愛を感じます。
パウロは罪の赦しという言葉を使いません。なぜなのか血疑問に思います。彼は先を見ているのです。
神を愛すること、私の一番の願いです。どうしたらいいのか、課題です。
安息日の戒めには神さまのどんな御心があるのでしょうか。
私の聖書の読み方の特徴は、聖書を思いめぐらし、神さまの導きを求めることにあります。
神の戒めは何のためにあるのでしょうか。どうしたら守れるようになるのでしょうか。
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」。このイエス様の音場を黙想しました。
聖書を読み、神さまはどんな表情をわたしに向けておられるのかを思いめぐらします。
神の偉大な力をどのように受けとめたら良いのか、思いめぐらしました。
福音は力と聖書にあります。この力は私にどのように働きかけたのか、振り返りました。
聖書を読み、神さまがいかなるかたかを知ったら、問いを立てて思いめぐらしてみる。
祈祷会では聖書に登場する人物について、参加者が順番に話をしています。今回は、私の番で、パウロについて話しました。
パウロは自分がキリストの使徒であることを推せんする推薦人はコリント教会だと語ります。ここにパウロの愛を見る思いがします。
パウロはキリストを知るという知識の香りを漂わせる伝道者について語ります。
パウロの手紙を読み、パウロが神の愛に生きていることを教えられました。心が震えました。
自分なりにキーワードを念頭に置いて聖書を読むと、気づきが与えられます。今回与えられた気づきは・・・
キリストの復活を語る時、ぱうろは、死が滅ぼされると語ります。どういうことでしょうか
聖書を読む時に、神さまはいかなるかたかを考えながら読むと発見があります。
次いで世の終わりが来ますとパウロは語ります。世の終わりが来る、どう受けとめたら良いのでしょうか。
聖書が告げる救いの三つの側面、過去、現在、未来の救いについて考えます。
神はキリストを復活させました。これは神の大いなる力によります。この力が私たちにも働くとすれば