聖書黙想
イエス・キリストを信じる者は神の義を与えられるとあります。ではなぜ、神は信じる者を義と認められるのでしょうか。
最近讃美歌の歌詞が心に響くようになりました。うれしく思っています。今日は313番を歌いました。
放蕩息子の物語をあらたな視点から思いめぐらしてみました。
聖書は不思議な書物です。読んだことのある箇所を読んで、新たな発見をすることがよくります。
パウロはキリストを宣べ伝えます。パウロは、異邦人つまりユダヤ人でない人たちを「信仰による従順」へ導くという使命を与えられました。「信仰による従順」とは何でしょうか。
1.聖書に聞く 聖書を読む時のポイントとして二つのことを紹介しました。 神はいかなる方かを知る。 神がキリスト者に求める生き方を知る。 これをAと呼びます。 2.自分を思いめぐらす 次に自分について思いめぐらします。 自分はどんな状況にあるのか。 …
私が聖書を読む二つの目的の紹介です。生きるために読む、神の導きを得るために読む、です。
マルコ福音書16章1~8節、イエス様の復活記事を読んでの黙想です。
十字架につけられ、人々からあざけられた主イエスはどんな気持ちだったのでしょうか。
十字架を背負ってゴルゴタの丘に向かうイエス様。どんな気持ちで十字架を背負っていたのでしょうか。
受難節を過ごしている今、イエス様はどんな思いで苦難の時を過ごしておられるのか、思いめぐらしました。
ゲッセマネの園で祈るイエス様は弟子たちに「目を覚ましていなさい」とお命じなりました。しかし弟子たちは寝入ってしまいました。
ゲッセマネの園でイエス様が祈る場面を思いめぐらしました。一番印象に残ることは、イエス様が恐れもだえたこと、そして「死ぬばかりに悲しい」と言われたことです。
主イエスが弟子たちにパンとぶどう酒を与えたのは何のためだったのか。三番目の意義について紹介
主イエスは弟子たちと最後の食事をしました。その中で弟子たちに裂いたパンを与え、杯を与えた主イエス。何のために?
今年の受難節はマルコ福音書を読んでいます。今日は14章10~11節。ユダの裏切りの場面です。イエス様の弟子の一人、イスカリオテのユダはイエス様を裏切り、イエス様を引き渡そうとして祭司長たちのところへ出かけました。そしてイエス様を引き渡す機会を狙…
クリスチャンを迫害したのは間違っていた。神の御心に反していた。自分はどこで間違えたのか。
復活のキリストを示されたパウロ。キリストが救い主と知らされたパウロの思いは?
使徒パウロは「完全な者になりなさい」と勧めます。驚くような勧めです。どう受けとめたらいいのでしょうか。
今日はマルコ福音書6章でイエス様が故郷のナザレにお帰りになり、安息日に会堂で教えられた箇所を読み、思いめぐらしました。
赦しなさいとのイエスの教えがあります。いつ、赦すのでしょうか。
わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのであるとイエス様は教えられました。
多くの信仰者も自分の人生を振り返れば、神さまの導きを思い出すことができると思います。そこで思います。神さまが私たちを導かれるなら、いつも導かれて歩みたいと。
主イエスは「ただ信じなさい」と、幼い娘が亡くなったとの知らせを聞いたばかりの会堂長のヤイロに語りました。ただ信じなさい。
弱さを起こると聖書にあります。甥から来る衰えを弱さとするなら、これを誇ることができるのでしょうか
ヨハネ福音書に私たちは「恵みの上にさらに恵みを受けた」とあります。私はどんな風に恵みを受けたのか。
救い主イエスの誕生。これは1500年も前のアブラハムに対する約束の実現。1500年を経て実現した神の約束。
「あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています」とパウロは書きます。どういうこと?
イエス様は種まきのたとえの説明をされ得ました。良い土地に蒔かれた種は豊かな実を結ぶとイエス様は約束されました。
神さまは、気落ちした者を力づけてくださる神さまです。神さまに信頼して祈ります。