証し
夏期学校に行ってきました。成人科の分級に参加し、「愛するとは何か」を共に考えました。
人からほめられる、これは励みになります。神さまは人を介して、私を励ましてくださいました。
人から自分が正されること、それは大切な恵みです。人に注意して反発された体験。
自分を守るための無意志についたささやかな嘘。気づいて悔い改めて知る赦しの恵み
神を愛するとは、神の戒めを守ること。いや神を愛するとは神の心を大切にすること。
神さまは、人との出会いを私に与え、牧師としての私の歩みを導いてくださったことをあらためて思います。K牧師から、親のあり方、信仰者としての敬虔を学びました。
人との出会い、それも神さまの恵みです。礼拝に誘ってくださった方のお陰で私は信仰に導かれました。今度は、私が用いられたい。
神さまは、私の心に願いを起こさせ、それを実現に導いてくださいました。思いがけない道が拓けました。
信仰を持つ以前の私の願い、「そのためならしんでもよいもの」、そのために生きていきたいとの私の願いを、神さまはかなえてくださいました。
劣等感からの解放。主イエスを信じ、神の子としてのアイデンティティーを喜び、自分の個性を喜ぶことができるようになりました。
神が存在することの確かさ、それは自分の罪を自覚できるところにあるのではないかと思います。
祈祷会で詩編75を読み、神の恵みを語り継ぐことの大切さを覚え、語り継ぎたいと思いました。今日は第一回。
聖霊について私が大切にしている聖句の紹介とそれにかかわる思いを書きました。
「あなたは何者か」という神さまの問いかけに対する私の答えは、「私のアイデンティティーは、キリスト者、福音宣教者、キリストの証人」です。具体的にどのようにアイデンティティーに生きているのか、自分を振り返りながら確認しました。 神さまに対して、…
ヨハネ福音書1章19~28節を読みました。 <聖書から> 19~20節にこう書かれています。 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、彼は公言し…
神さまは私たちの必要を満たすと約束される神です。そのことの証しです。
ペトロのはイエス様を裏切りました。そのペトロを見つめるイエスの眼差しは愛の眼差しでした。
神の聖なる怒りに触れ、おそれおののきました。罪の赦しを受け、恐れから自由になりました。
今、パソコンに入っている日記を整理しています。バックアップしたデータもあり、いくつも日記のファイルがあります。整理しながら目に入ってきた日記がありました。 20XX年XX月XX日 ある牧師と話をしているとき、彼がこんなことを言いました。 「死の恐れと…
死の恐れからの解放を伝えます。 holalaの証しです。
僕は小さい頃、死の恐怖を覚えました。それを口にすることはできませんでしたし、このような恐れを持つのは自分が弱い人間だからだと考えていたからです。他の人はこの恐怖をもっているとは思いませんでした。親は自分より先に死ぬのだと思うと、親に話すこ…
スマホのメモ帳に書いた歌を紹介します。 わが身には神の残せし爪痕がなんじは罪人なんじは神の子 夜中に目覚めて眠れない時に 真夜中に目覚めて思い漂流すイエスを愛そう内なる声す 無牧の教会への説教奉仕が終わり、バスを降りてわが家に向かう道にて 御言…
心が満ち足りる時。聖書に親しむ時。
人生を導かれる神さま。神さまが導かれるゴールは神の国。その時私たちは、キリストと同じ姿、栄光の姿に変えられます。
おいしいものは自分でつくる。食べたいものは自分でつくる。そんな思いでスパイスカレーを作っています。今日の夕食は鶏肉のキーマカレー。妻はおいしいと言ってくれました。スパイスカレーは作り方は簡単ですが、スパイスの組み合わせをどうするかが初心者…
ほとんどの信仰者は問題に直面したときに神さまに導きを求めると思います。そして問題が解決し、平穏な日常生活を得ると、特に神さまの導きを求めることなく、自分の思いや考えで生きてゆきます。自分の力で生きていけると考えます。神さまの導きは必要なく…
私は教会の礼拝で使徒信条を毎週告白しています。使徒信条は教理的な信仰の中心を言い表したもので大切なものです。これとは別に私には個人的な信仰告白があります。それを紹介します。 (1)神さまは、私のために最善の人生を用意してくださっている。(2)…
「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」(フィリピ3:10~11)。 パウロは、キリスト者の復活をコリント一15章で語っています。私は礼拝で使徒信…
ドイツのトゥルナイゼン牧師の葬儀説教『御手に頼りて』(日本基督教団出版局)の中に色々な聖書箇所が引用されていて、それらの聖書箇所を思いめぐらしたいとの思いが私にはあります。そして最近思いめぐらしたのは、コリントの手紙一の言葉です。これはパ…
「わたしの主キリスト・イエスを知るあまりのすばらしさ」。これは使徒パウロの言葉です。このように語るパウロは、キリストについてこう語ります。 「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています…