クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

罪人の再生の始まり(6)アイデンティティーの確認(神の前に正しい人)(補足2)

私は自分が罪深い者であるとの認識を持っていますが、私のアイデンティティーは、神の目に正しい者、です。

罪人の再生の始まり(5)アイデンティティーの確認(神の前に正しい人)(補足)

クリスチャンが罪を犯したら罪に定められるのでしょうか。罪を犯すクリスチャンはやはり罪深い存在なのでしょうか。

罪人の再生の始まり(4)アイデンティティーの確認(神の前に正しい人)

イエス・キリストを信じた人は、神の目に正しい人です。クリスチャンのアイデンティティーは、神の前に正しい人、です。

罪人の再生の始まり(3)アイデンティティーの確認(新しく生まれた者)

信仰者は新しく生まれた者です。信仰者のアイデンティティーです。

罪人の再生の始まり(2)アイデンティティーの確認(罪からの解放)

クリスチャンのアイデンティティーを知ることが再生の始まりまで宇。クリスチャンのアイデンティティーの最初は、罪から解放されている、です。

イエス様から遣わされる

横浜にいる長男夫婦の一人娘(中一)をあずかっての一週間の生活をしました。長男夫婦はテレワークのできない部署で働いています。

罪人の再生の始まり(1)洗礼

洗礼には神ご自身が働かれます。その結果、私たちはクリスチャンになります。名前だけクリスチャンになったのではありません。

福音を知る(6)洗礼について(1)

日本の教会は洗礼について十分な理解を持っていないのではないか。これは大きな課題。

新型コロナウィルスと神の御心

新型コロナウィルス感染拡大の事態をどう考えるか、神さまはどう思っておられるのかを想像してみました。

新型コロナウィルスに聖書によって向き合う

新型コロナウィルス感染に対する私の向き合い方。神の摂理を信じて向き合います。

私の身によってキリストが

「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています」。このパウロの願いを自分の願いとした私。

ゲッセマネの園のイエス

ゲッセマネの園でのイエス様の祈り。「この苦しみの時が自分から過ぎ去るように」との祈りが心に残りました。

福音を知る(5)人を再生させる神の力

福音には信じる者を変え、成長させる力があります。この福音を喜びます。私は福音を恥としません。

成し遂げられた

成し遂げられたと語って十字架のイエスは息を引き取られた。使命を終えて父なる神のもとに帰るイエス。私もかくありたい。

福音を知る(4)神の計画

神は天地を創造されました。そして人間も創造されました。神は何のために人間を創造されたのでしょうか。神は人に何を期待されているのでしょうか。人が愛に生きることです。

福音を知る(3)福音は神の力

福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力です。

福音を知る(2)福音を聞くと戸惑いが

2002年4月私は金沢元町教会へ赴任しました。どんな説教をして、この教会での牧会を始めたら良いのか考えました。赴任した4月「神の子」を主題とする説教を行いました。その結果は?

福音を知る(1)視点の転換

福音を知るには視点の転換が必要です。自己像を捨て、神が見る私の姿を私とするのです。

明日はわが身?

新型コロナウィルスの脅威に対する恐れ、ストレスは祈りによって解消しよう。

わたしの願い

牧師を隠退して募ってくる思い。福音が余すところなく宣べ伝えられているのだろうか、との思い。

真理に属する者

「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」。心に留まった聖句です。

孫への伝道

妻が孫たちにヨハネ黙示録の話をしています。黙示録の面白さを伝えたい!

礼拝と活動の自粛

活動の自粛、外出の自粛の中で、日曜の礼拝をどうするのか、教会の課題です。

聖書が語る救いについて(7)死後の救い

聖書は死後の救いについても語ります。私たちは神の国に迎えられます。これが本当だと信じることのできる根拠は、イエス・キリストの復活にあると信じます。

新型コロナウィルス感染脅威に関連して

神戸改革派神学校の校長吉田隆さんが書かれた『ウイルス禍についての神学的考察』という文章から一部を紹介します。

神に栄光を

イエス様は祈りの中で「あなたの栄光を現しました」と祈られました。イエス様に倣い、私もこのように祈りたいと思いました。

伝道の秘訣

イエス様は、信仰者の群れが主に会って一つとなるとき、世の人たちがイエスを信じるようになると教えられました。

御言葉を行う

私たちの思いは行いとなり、行いは習慣となり、習慣はやがて性格、人格となります。 み言葉を思い、み言葉を行うことを習慣化するとみ言葉による人格形成ができます。

罪の呪縛(続きの続き)

私のアイデンティティーは正しい人間。「私は罪深い」は信仰者のアイデンティティーではありません。神さまの助けを得て罪を克服します。

罪の呪縛(続き)

「私は義人にして罪人である」。この言葉も私たちを罪の呪縛の中に導きます。問題なのは、私たちが福音に対して無知であることです。