手術前の祈りとお知らせ。
試練に直面したとき、それは信仰に生きるときであり、不信仰にお通るときです。どちらを選ぶのか。
「先生、まだ主が召されないんですよ」。信徒の忘れられない言葉です。
キリスト者はキリスト者のアイデンティティーを信じると、アイデンティティーが示す人に成長していきます。神の子として成長し、神を愛する人になります。
手術を前にして澄みきったような平安が心を満たしました。すべてが整えられ、神さまにゆだねることができました
病院に行き、あらためて検査をし、手術の日が決まりました。
キリスト者は神の子です。神の子は父なる神を愛します。自分が神の子であると信じたときから、神さまを愛するようになりました。
他者の思いに対して共感することは大事ですが、時に他人事(ひとごと)になることも大切と気づきました。
神を愛するようになった一つのきっかけ。信仰とは神との交わりに生きることと悟ったこと。
信仰に生きるとは、神を愛することです。神を愛するってどういうことでしょうか。神の戒めを守ることが神を愛することらしいです。
キリスト者は律法から解放され、「しなければならない」という考え方から解放されました。神の教えを守らなければならないとは考えません。守りたいと考えるのです。
信仰者の生き方を表現する言葉は色々ありますが、すてきな表現が聖書にありました。「キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方」
律法の二つの役割。人を祝福する働き、人に罪を知らせる働きがあります。
年をとるとは、新しい経験を積み重ねること。老信徒の語った言葉が思いだされます。「手術が必要です」。ドキッ。
「しなければいけない」世界、律法の下にある信仰者の歩みから自由になった話しです。
キリスト者は神の教えを守らなければならないとは考えず、神を愛し、神の心を大切にするので、これに喜んで従おうとします。
わたしたちに必要な糧を今日与えてください マタイ福音書の主の祈りを思いめぐらしています。今日は11節の言葉を思いめぐらしました。キリスト者ならだれもが知っている言葉です。 必要な糧とは食物だけではなく、生きていくのに必要なものすべてと理解しま…
中国から日本へ仏教を伝えるために渡来した鑑真の布教に対する思い。
律法あるいは神の掟は、祝福の手段として、信仰者に与えられました。掟を守ることの中に祝福があります。
(クリスチャンの成長(66)キリストに結ばれて- 24) ローマ 7:4~6ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。・・・・しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律…
キリストに結ばれたキリスト者は律法から解放されています。神の戒めを守らなければならないと考える必要はありません。
罪の捕らわれから解放された先にあるのはキリスト者の自由です。
今回考えるのは、人との関わりにおける罪からの解放です。人との関わりにおける罪も、さまざまな罪があります。色々な罪があると思います。そこで今回も私が体験したことを証しとして書くことにします。
罪からの解放という時、それは具体的な罪からの解放を意味すると私は考えます。そして解放は具体的な体験です。
主の祈りを毎日祈っているとすると、「御国が来ますように」と毎日祈っていることになります。
信仰者はキリストにむすばれ、キリストと共に死にました。死んだ人に対して、罪は何の影響力も発揮することはできません。キリスト者は罪から解放されました。
人間は体を持つものとして創造されました。体があることはよい面と悪い面があります。
キリストに結ばれ新しい人になっても、肉の性質が私たちにはあります。この肉の性質のために私たちは罪を犯します。しかしこの肉の働きに、私たちは勝利します。
奈良の名所を歩いて思うこと。キリストを信じることができた幸いを思います。
私と私の心を区別することにより、混乱を避け、聖なる者としての歩みができます。