クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 昨日の礼拝で、神様が顧みていてくださると思ってジ〜ンと来たと書きました。その時の僕には一つの思いがありました。一昨日の土曜日、教会では教会総会資料の印刷、製本作業が行われていました。長老のHさんが資料のとりまとめをしてくださいました。多くの時間を割かねばならない作業でした。締め切りは迫ってくるは、苦労の多い奉仕をしてくださいました。土曜の夜、説教の準備をしている時、ふと、思いが与えられたのです。労いと感謝のメールを送っては、との思いです。そしてすぐにメールを出しました。
 牧師には、牧師の働きのために祈ってくださる教会員の方々がいます。そのことを感謝し、喜びます。その上で思います。神様から「よくやっているね」と言葉をかけられたらうれしいですね。

 そして昨日の礼拝の時、賛美歌を歌いながら会衆を見ている時、色んな方が来られているのがわかった時、神様が声をかけてくださったような気がしたのです。そして恵まれた礼拝なんだと感じたのでした。

 息子からのメールで、「自分が十分愛されたと感じてから愛するようになれるって思ってたけど、愛することをしていこうとする時に、自分がどれだけ愛されているか気づく、という見方もあることを知りました」とありました。

 実は、「愛することをしていこうとする時に、自分がどれだけ愛されているか気づく」ことに僕は経験から、うすうす気づいていました。メールで読んで、その通りだと思いました。僕は労いが欲しい、だから人を労うべきだ、との思い、それは無意識のうちの思いですが、それがH長老へのメールになりました。そして翌日、礼拝の様子を見て、僕は神様が労いの声をかけてくださっているのだと感じたのです。かくして、昨日の礼拝は、恵まれた礼拝となったのでした。