クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 僕は、今、自分が生まれたこと、こうして生きていることを感謝できることと受け止めることができるのか、と考えている。神との交わりに生きる上で、これは大きな課題。聖書によれば、神が我々に命を与え、我々を生かしている。自分が生まれ、生きていることを感謝できれば、素直に神に感謝することができる。でも、その境遇によっては、生まれたこと、生きていることを感謝できない人もいる。
 ホジュンは、身分が低いことを恨み、荒れた生き方をしていた。彼の父が言う。「人の貴賤は身分ではない。生き方が人の貴賤を決める」。不幸な星の下に生まれたといって自己憐憫に陥り、ぐれた生き方をする人もいれば、なお誠実に生きる人もいる。
 A Boy meets the world という題のドラマがあった。少年が世界に出会う、という意味だが、少年が大人になるべく成長し悩むことを題材としていた。僕が物心ついたとき、自分が生きていることを意識したとき、僕の心には不安と恐れがあった。残念ながら「心配しなくていいよ」と言ってくれる人はなく、不安と恐れを抱きつつ生きてきた。だから救いを求めたし、信仰を得てこの問題は解決することはできた。
 しかし、自分が生まれ生きていることを感謝できるかと言われると、返答に窮する。頭では、理性では、感謝するという答えを出すが、心はためらいを感じるのだ。不安と恐れに神に責任はない。でもふるえおののく幼い魂を守ってくれる者がなかったことで僕の心には傷がある。それをどうしたらいいのか。
 誕生日を祝うことって大切だ。人が自分の誕生を祝ってくれる、それは君が生まれてきてよかったね、私たちもうれしいよ、といってもらえ、自分の存在を肯定できるのだから。僕の誕生日は1月1日。 正月の祝いの中で、誕生祝いは忘れられてきた。今年の正月、長男夫婦、次女が来てくれて子供たちから誕生日祝いをしてもらった。初めての誕生祝いのような気がした。うれしかった。