本日のメッセージ(2007.5.27)
ヨハネ 16:5〜15 聖霊の働き
今日は教会ではペンテコステと呼ばれる日です。ペンテコステとは50を意味します。イエスの復活から50日後。この日、イエス・キリストを信じる弟子たちの上に聖霊が降りました。弟子たちは力を受けて、イエス・キリストを宣べ伝え始めました。
聖書には、悪霊と聖霊と二種類の霊が出てきます。悪霊は人を苦しめます。聖霊は人によい働きをする霊かというと、よい働きをしますが、聖霊は、実は神なのです。キリスト教の神の特徴は三位一体です。三位の「位」は。ペルソナ=パーソン=人格を意味します。神は三つの存在の仕方(三つの人格を持つ存在)をしますが、一つの神であるというのが三位一体の教えです。
天にいる父なる神。人となって生まれたイエスは子なる神。信仰者の内に住む聖霊なる神。父なる神は、世界を創造し、人間を創造された神。世界を導き支配される神。イエスは十字架について救いの業を行った神。聖霊は、人間の心を清め、心を新しくしてくださる神。一人一人の信仰者の救いを実現する神。
聖霊についての誤解があります。神の力、エネルギーと考えるのは間違いです。聖霊は力ではなく人格を持った神です。そのことを意識した牧師たちが聖霊と言わず「聖霊なる神」という言い方をしているのを耳にするようになりました。それなら「聖霊様」と言って敬うのがよいと思います。
聖霊の働きを今日の聖書から学びます。その場合、イエスの働きを考えることが大切です。
ヨハネ福音書の特徴として、イエスが父なる神から派遣されてこの地上に来られた神であることを繰り返し語っています。イエスを信じるとは、イエスが天の父から派遣されてこの世に来られた神であると信じることです。イエスは父なる神から教えられたこと/聞いたことを語ると言っています。イエスが行うのは、父なる神の御心です。イエスの語ることを聞き、イエスの行ったことを見て、イエスが神から送られた方であることを信じ、イエスを通して、神を信じるのです。私たちはイエスを通して神を知るのです。
「わたしは道であり、真理であり、命である」(14:6)。
イエスは真理そのものです。そして聖霊は、真理の霊と言われます。聖霊は、
「自分から語るのではなく、聞いたことを語り」(16:13)
とあります。イエスもまた父なる神から教えられたこと、聞いたことを語ります。イエスは救い主、聖霊も助け主(弁護者)と言われます。聖霊の働きはイエス・キリストの働きと似ています。
その聖霊は、罪、義、裁きについて、世の誤りを明らかにします。この世の人々の理解と違い、罪とはイエスを信じないことだと聖霊は教えます。え、そんなこと! 独善的と思うかもしれませんね。
イエスは神を信じているユダヤ人たちに対して、語り、奇跡を行いました。イエスによって目が見えるようになった元盲人は告白しました。
「生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです」。
イエス自身こう言いました。
「神の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである」(7:17)。
神を信じる素直な心は、イエスが神であることが分かるのです。
ユダヤ人たちは、神を信じていました。特に律法学者たちは、神の教えを研究し、これを実行することを重んじていました。でも彼らはイエスを信じなかったのです。聖霊に導かれる時、イエスを信じないことが罪であることが分かるのです。その代表がクリスチャンを迫害した使徒パウロです。私たちも聖霊に導かれる時、自分が罪を犯して生きている人間であることが分かります。
現実には、自分が罪を犯していることが分からない人は沢山います。多くの人は、自分は正しく、自分はよくやっている、と考えます。あるいは罪を犯していても言い訳をして自分を正当化しています。イエスの話を聞いても信じなかった律法学者たちは、自分の立場からイエスを批判し、イエスを認めようとしなかったのです。問われているのは自分なのです。
もし私たちが謙遜に、聖霊の導きを受け、聖書の教えに照らして自分を考えると、自分が罪を犯していることに気づくようになります。信仰に入るこつは、聖霊の導きを与えてください、と祈ることです。
聖霊は義を明らかにするとあります。言い換えると、イエスが真に救い主である神であることを明らかにするとの意味です。「父のもとに行く」とは十字架の死を指します。イエスは十字架にかかり、人間の予想もしない救いのみ業を成し遂げられたのです。
さらに聖霊は「この世の支配者を断罪する」とあります。イエスを十字架につけた律法学者たち、ユダヤ人の指導者たちが、救い主を殺したという罪を明らかにするとの意味です。
「御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである」(3:18)。
聖霊は、イエスを信じない者がすでに裁かれていることを明らかにします。その生活には、その心には破れがあります。人はそれを認めようとしませんが。ささやかだから気にしないでよい、他の人より幸せだから、色んな理由をもうけて、人は自分がうまくやっていると考え、裁かれていることは認めようとはしません。
聖霊の働きを受けて、イエスは救い主であると信じる人々が誕生しました。この人々が集まり、教会が生まれました。今や教会は、世界中の多くの場所に広がり、イエス・キリストを宣べ伝えています。
(適用)
- イエス様を信じているあなた。聖霊様を崇め、聖霊様があなたの心に住んでおられることを感謝しましょう。
- 聖霊様はあなたの心を変えて下さる方です。期待しませんか。もっと積極的になりたい、不安や思い煩いから自由になりたい、人に対して感謝できる心を持ちたい、・・・
- まだイエス様を信じていないあなた。神さまから見たあなたはどんな人間に見えるか、考えてみませんか。聖霊様は、あなたがどんな人間なのか、あなたに教えてくれるでしょう。そして信仰に導いてくれるでしょう。
- 信仰を持つことが幸いなことは、イエス・キリストが死んで2000年以上経っても、イエスを信じる人が多くいることが証明しています。あなたもイエスを信じませんか。