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隠退牧師 holala によるブログ

聖書 ヨハネ 18:33〜40 真理に属する者として生きる

内容観察
 イエスはピラトの審問を受けるが、自分の国はこの世と違うこと、真理を証しするためにおられたことを告げる。

18:33 そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。

18:34 イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」

18:35 ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」

18:36 イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」

18:37 そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」

18:38 ピラトは言った。「真理とは何か。」

18:38 ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。

18:39 ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」

18:40 すると、彼らは、「その男ではない。バラバを」と大声で言い返した。バラバは強盗であった。

静聴

教え>34節。自分の考えで行動することが大切で、人が言ったことに左右されて行動するのではない。

★人から影響を受けることは大切である。影響を受け、それを自分のものにすることが大切。人の影響を受けて感動して行動することもよいが、自分のものにすることが大切。

御子>36節。イエスの所属する国は、この世に属してはいない。イエスの所属する国に属する人々は、この世の価値観、考え方とは違う価値観、考え方を持つ。

★私たちイエス・キリストを信じる者は、神に属する者であることを肝に銘じよう。

御子>37節。イエスは真理を証しするためのこの世に来られた。イエスは真理そのものである。

★私たちは、イエスが教えられたことが真理であると心から受けとめる者かどうか、吟味する必要がある。私たち自身、真理に属するのか、この世に属し、真理を拒み、この世的な考えに生きるものであるかどうかの吟味。イエスの教えの良いところとこの世の教えの良いところを併せ持つというのは、真理に属する者の態度、生き方ではないだろう。

教え>38節。真理の属する人は皆、イエスの声を聞く。「神に属するものは神の声を聞く」(8:47)。自分はどちらに属するのか、はっきりさせることが大切。

★信仰は、あれかこれか、割り切れない面がある。たとえば神の存在は信じるものか。実感するものか、という問いがある。信じるだけで実感がないとしたら、つまらない信仰になってしまう。信じないで実感だけを求めるなら、あやふやな信仰になる。いつも実感できるわけではないから、実感がない時の信仰は、疑い、迷いが生じるあやふやな信仰になる。祈りは聞かれるのか否か。聞かれると信じることは大切。でも聞かれたという実感がなければ、聞かれると言ってもむなしい。信仰と実感は、あれかこれかと言えない。

★自分がどちらに所属するかについては、本来、あれかこれか、である。自分の信仰の曖昧さ、弱さ、頑なさのゆえに、中途半端になることはしばしばある。神に属する者でありながら、この世的な考え方をしてしまうなど。

★信仰の強さとは、曖昧さがないこと。

★信仰の高みとは、実感の積み重ねを通して、ひたすら信じる境地になること。アブラハムがイサクを献げた時、神への信頼に生きていた。聖書から、我々は真理を聞き、これに生きるものであることを深く確信していきたい。迷うことなく、御言葉に生きていきたい。

実践のための祈り

 天の父、自分で考え、自分の言葉で語ることの大切さを教えられました。人を育てる牧会を目指してきましたが、牧会哲学の文章をまとめ、ようやく自分の言葉で語ることができるようになったことを感謝します。私と同年齢の牧師の訃報を昨日読みました。これで二人目です。もっと牧会したかったという無念の気持ちがあったのではないか、と推測します。だからこそ、今、牧会できることを感謝し、取り組んでいきたいと思います。
 天の父、詩篇を夜の祈祷会で呼んでいますが、詩人たちは、率直にあなたと向かい合って生きています。その姿に感銘を受けます。自分の目の前にあなたを置いて、あなたと共に生きています。私もそのようにあなたとの親しい交わりの中で、牧会していきたいと思います。「何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい」(コロサイ3:17)。
 天の父、残された人生、本当に取り組むべき課題に真摯に取り組みます。導いてください。人を育てる牧会、弟子訓練、これがわたしがなすべきことです。イエス様が天に帰る前に弟子に命じられたことです。昨日の祈祷会で、Aさんが私の思いを理解できるようになったと語ってくださいましたが、あなたの励ましと受けとめ感謝します。
 今日は妻と弟子コースの学びをする予定です。この学びの上にあなたの導きを祈ります。妻との学びが順調に進むように助け導いてください。
 天の父、弟子訓練について、自分の言葉で語ることができるようになりました。これまで紆余曲折の道をたどってきました。その歩みを簡単に振り返り、分かち合いたいとの思いが与えられました。あなたの導きに対する感謝として、文章をまとめ、弟子訓練を願う牧師たちと分かち合うことにします。今日は、最初の文章を書きます。
 天の父、信仰の高みにあがりたいです。幼子のようにあなたに信頼する者になりたいです。そのために必要なことはあなたと向かい合って生きることです。それがイエスの国に生きること、真理に聞くことだと思います。あなたとの交わりに生きる者となります。助け導いてください。今日は、心静めて、あなたとの交わりを持ちます。

今日すべきこと

  1. 午後、弟子コースの学びをする。
  2. 心静めて神との交わりを持つ。
  3. 弟子訓練に導かれた文章を書く。