クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 朝6時起床。デボーション。食事。祈祷会の準備。明日の地域集会の準備。テーマを設定して話し合うことに重点を置く。テーマは『自分のよいところ』。どんな風に話し合いが展開するか、話が深まるか、楽しみ。話し合いが止まったときに、話を活発化させるための質問を考える。これが難しい。印刷してKさん、Sさんに配る。彼女たちが地域集会の司会をする。

 祈祷会。昼食。午後は『パウロによるキリストの福音』(市川喜一著)を読みふける。無心に読みふけり学ぶっていいなあ、と思う。忘れてしまったものを思い出したような感じ。昔はよく勉強した。

 夕方、買い物。山に関する本。初心者でも登れるという北アルプスに夏登りたいので。また美ヶ原をのんびり歩いてみたい、この夏。コーヒー専門店チャペックへ。豆を買うついでに飲んできた。カウンターで店主のマスターと少し話す。

何気ない仕草でおいしくコーヒーが入るんですね。

最初にお湯を注ぐとき、2回目にお湯を注ぐときに注意すれば、あとは普通湯お湯を注いで大丈夫です

ここで教えてもらってコーヒーをおいしく飲めるようになった。

夜も祈祷会。詩篇31を共に読み、感想を語り合う。男性5名、女性1名。詩編を読み、ぼちぼち、感想を語り合う。良い雰囲気だと感じている。

何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい(コロサイ3:16)。

この言葉を実践するように今、訓練している。今日の祈祷会が恵まれたのも、このおかげかもしれない。

キリスト教はキリストだ。教えではない。

 律法を守ることで人一倍熱心だったパウロが、キリストを知ることの絶大な価値を語る。キリスト教とは、キリストを信じて生きることを教える。それはキリストの教えを守って生きることではなく、キリストと共に生きることである。結婚した男女が生活を共にするように、キリストと共に生きること、その時、キリストのすばらしさを知る。それがキリストを信じて生きるということ。その第一歩として、コロサイ書の御言葉の実戦を始めた。