日曜から月曜にかけて夏期学校。「神さまってスゴイ!」というテーマで開催した。充実感のある夏期学校だった。何によって充実感がもたらされたのか、といわれると返答に困るのだが、雰囲気がよかったというのが実感。CS教師たちの心も一つになっていたし、子供たちを愛する心も現れていたし、子供たちも楽しんでいた。祈りに支えられた夏期学校だったことを思わされて感謝。
雰囲気のよさは、普段の教会でも感じることであり、神の家族としての教会らしくなってきたのだと思う。もちろん十分ではないが。
夏期学校の二日目、昼はバーベキューをした。A君が僕のところに焼きなすを持ってきてくれた。なぜ、持ってきてくれたのかは分からないが、僕はナスは嫌いである。
「A君は、牧師が好きで持ってきてくれたのよ。食べなきゃね」
と妻。A君が僕に好意を示してくれた、とすれば、うれしいこと。嫌いなナスだが食べないわけにはいかなくなった。全部は食べられないが、これだけ食べると宣言して、八分の一ほど食べた。今まで嫌いで食べなかったが、食べられないことはないな、と感じた。テーブルで僕の前にいた高校生が
「聖書には、耐えられない試練はないって書いてあったよね」。
それを聞いてみなドッと大笑い。僕はナスという試練に耐えたのです。
昨日のデボーションで、多くの人と共に賛美したいと神に祈った。そのことを昨日の信仰実践コースの学びで分かち合った。すると夜、妻が
「私はあなたと一緒に賛美したいとずっと思ってきたのよ。でもあなたはなかなかそうしない。私と賛美したいという気持ちがあるの」
と言われて、困ってしまった。野山を歩くときには妻を引っ張り出すのだが、賛美のために妻を誘い出すことはない。なぜなのだろう?