クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 今日も目覚めたのは7時半過ぎ。朝食。今コリント書の説教をしているが、明日から、愛の賛歌の説教。愛するとはどういうことか、ていねいに一つずつ取り上げることにした。明日は、「愛は忍耐強い」。自分自身、愛することを身につけたいし、聖書的に、具体的に聖書から教えられたいと思っている。
 
 今週、scansnap300 という機械を買った。パソコンにつなげるものであるがドキュメントスキャナーと呼ばれる。書類を何枚もあっという間に読み込み、パソコンの中にファイルとして取り込んでくれる。PDFファイルとして保存される。以前は、書類を一枚ずつスキャンしていたが、両面をしかも何枚もいっぺんに読み取る優れもの。机の上をきれいにしたいという願いがかないそう。

 まだ先のことだが、元旦礼拝の説教は、詩篇111に基づき、『神を畏れる』と題して説教することにした。神を畏れるってどういうことだろうか。辞書には神を敬うこととある。自分の言葉で言うとどうなるのか。

  • 神が大いなる存在であることを認め、そのかたに心から服する。恭順の意を示す。
  • その方の語ることを受け入れ、それに従う態度。
  • 主の前に自らを低くすること。謙遜になること。


吉野輝雄氏(国際基督教大学教養学部理学科教授)の言葉から(ホームページからの引用)

神を畏れるとは

  • 人知を越えた偉大な存在として認めること。人間の知識、知恵、力が及ばない存在として認めること。
  • 自分が今存在し、生きているのは自分の力だけによらないことを認めること。
  • 自分が宇宙(世界)の中心にいるのではないという事実を認めること。

さすが大学の先生は的確に話すなと感心する。

今夜の11時。説教の準備が終わって解放感を味わっている。YOUTUBE でマイケル・スミスの Here I am を聞いている。