クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

本日のメッセージ(2007.12.9)
コリント一13:4〜7  愛は親切に振る舞う

 先週は「愛は忍耐強く振る舞う」ことであると学びました。すぐには怒らない、寛容であるという意味でした。それは相手が自分の過ちを認めるのを忍耐強く待つという意味でした。怒るのは最後でした。

今日は

「愛は情け深い」

です。「情け深い」と訳されたギリシャ語は、聖書の他の箇所では、

「慈しみ、慈愛、親切」

と訳されています。わかりやすく、愛は親切に振る舞うというのが今日の教えです。
 私たちが親切に振る舞う第一の理由は、神さまの子とされているからです。救いという大きな親切を神さまから受けたので、私たちも人に親切にするのです。

 親切に振る舞う、と言うことなら、一般の人でも親切な人はいるし、親切を心がける人がいます。「小さな親切運動」というのがあります。昭和38年に始まったそうです。「できる親切はみんなでしよう。それが社会の習慣となるように」というのがスローガンです。
聖書は、できる親切は実行しましょう、と教えているのでありません。愛は「親切に振る舞う」と教えています。「できる」という条件はない。

「あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである」(ルカ6:35)。

 敵を愛することによって、神の子になるとあります。神は、恩を知らないものにも悪人にも情け深い、つまり親切であると書かれている。私たちは、恩を知らない者、悪人にも親切になることが期待されているのです。それは私たちは神の子供とされているからです。

「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」(コロサイ3:12)。

 私たちは神に愛され、聖なる者とされている。だから、慈愛、つまり親切を身につけなさい勧められています。親切が、神の子としての私たちの性質となることが期待されているのです。神さまが親切なように、私たちも親切になれ、との命令です。

 親切を行う上で大事なのは心です。サマリア人のたとえがあります。強盗に襲われた人をサマリア人が助けるという話しです。道に強盗に遭い、半殺しになった人がいます。サマリア人は、傷ついた旅人を憐れに思い、近づき、そして助けています。憐れみを感じる心が親切の出発点になっています。心が大切です。この心は、聖霊の実、と聖書は語ります。

「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ5:22)。

 親切に振る舞う理由は、喜びとも関係しています。私たち親切にされたらうれしいです。皆さんは、人から受けた親切でどんな親切が嬉しかったですか。どんな親切を思い出すことができますか。私は、教会員の皆さんからの気遣いを感謝なことを感じています。仙台ラブリ聖書教会に行ったとき、お茶の時、食事の時、話しかけてもらったことも嬉しかったです。

 親切を受けると、自分も親切にしたいと思うようになります。親切をして人に喜びを与えるのです。これは親切をを受けた以上に、大きな喜びとなります。自分も親切になれるからです。人に喜んでもらえるのは大きな喜びです。

 やろうと思って実行に移せない小さな親切に、急いでいる人に順番を譲るとか、迷っている人に道を案内するとかあります。自分の都合を考えるとできない成るわけです。私たちは、できる親切をするだけでなく、時には犠牲を払って、道を案内するとか、急いでいる人に順番を譲ることも大切ですね。相手を思う心があれば、そして人に仕える喜びを思うとき、できることです。それが聖書が教える親切の出発点です。

 親切の内容です。サマリア人は憐れみの心を感じて、傷ついた旅人に近づきました。親切というと、私たちは知らない人に対して行うことと考えていないでしょうか。親切は知らない他人に行うこととは限りません。むしろ身近な人にこそすべきです。

私たちが近づくべき第一は、家族です。

 夫や妻に対してどんな親切が考えられるでしょうか。相手に対する労いや感謝の言葉。手伝い。自分のことは自分でしたり。子供に対して、親に対して、どんな親切ができるのでしょうか。家族に対してできる親切を3つ考えて実行してみませんか。

私たちが近づくべき第二の人は、教会員です。

「互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい」(エフェソ4:32)

とあります。互いに親切にしましょうと書かれています。

たとえば、

  • <感謝する>。教会の働きは、それぞれの人の奉仕で支えられているので労いの言葉、感謝の言葉をかけるのです。感謝の言葉をかけられたら、にこっと笑って、会釈しましょう。
  • <励ます>。病人を見舞ったり、手紙を書きます。元気のない表情をしていたら声をかけます。自分の失敗談、みっともない話しを包み隠さず話します。
  • <教える>。料理のレシピ、育児、家事のこつを教えます。相手がきまづい思いをするが、そのままにしておくと本人が後で気づいたとき、恥ずかしく思うことを伝えます。勇気が要るのが、忠告することです。ダビデ王の家来ナータンはダビデ王の罪を指摘しました。信頼関係が前提ですが、罪を指摘し、兄弟姉妹を救うのも親切な行いです。
  • <聞く>。話しを聞いて、その人の気持ちを楽にさせてあげたり、話しを聞いて、その人を理解します。
  • <助ける>。誰かの作業を手伝う。帰りを車で送ってあげる。牧師の下手なダジャレに笑ってあげる。

そしてこの世で出会う人たちに対しても、相手の心に近づき、親切にしましょう。
私たちが親切を行う動機は、人を思う愛が、神さまから与えられているからです。
家族に対して、教会員に対して、あなたがしてみたい親切は何ですか。それぞれ3つ考えて実行しましょう。