クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

本日のメッセージ(2007.12.23)
マタイ 1:18〜25  イエスは罪からの救い主

 今日は、イエス・キリストは私たちの救い主であることを聖書から聞きます。イエス・キリストは、私たちを罪から救う方です。今日の聖書にも、「この子は、自分の民を罪から救うからである」とあります。

 三つの点で私たちを罪から救います。イエス・キリストは、罪を赦し、罪の力から解放し、罪に勝利させてくださる救い主です。

1.イエスは、あなたの罪を赦します

あなたの罪はイエスによって赦されます。たとえば聖書はこのように告げています。

「わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです」(コロサイ1:14)。

 イエスはあなたの罪を赦すために十字架につけられたからです。あなたは罪赦され、平安を得ることができます。あなたは自分を責めなくてよいのです。自分を赦してよいのです。

あなたはバチが当たるのを恐れていませんか。

 まもなく新しい年が来ます。多くの人は初詣に出かけます。なぜ初詣に行くのでしょうか。習慣だという人がいます。そうかもしれません。でもこの一年間、悪いことが起きないように、安心感を得たいので行くのではないでしょうか。自分が罪のない人間だとは断言できないので、人は無意識のうちにバチを恐れているのではないでしょうか。初詣で、安心を得ようとするのです。

 うすうす感じている自分の罪の赦しをイエスに求めるなら、赦しが与えられ、平安が与えられます。

あなたの人生はうまくいっていますか。

 家庭はどうですか。仕事はどうですか。いろいろな人間関係はどうですか。人生がうまくいかないのは、自分に原因がある、と自分を責めていないですか。あるいは、人生がうまくいかないのを、人のせいにして、不平や不満を言って過ごしていませんか。生きるとは、誰かとの関係を持って生きることです。その関係がうまくいっているとき、私たちは幸福を感じます。うまくいかないと幸福を感じることができません。すると私たちは気を紛らわして生きるのです。

 聖書によると、罪とは神を無視することです。神なしに生きることです。道徳とは別です。神との関係、それが人生の土台なのです。神との関係がないと人生は破れを見せるのです。

 聖書は、罪の起源を書いています。アダムとエバが禁じられた木の実を食べたという物語です。木の実を食べた後、彼らがどうなったかを聖書は語っています。彼らは自分が裸であることを知り、イチジクの葉で腰を覆ったというのです。自分の恥を隠そうとしたのです。自分を守ろうとしたのです。次に神が彼らに近づくと彼らは、神から逃げ、身を隠しました。神と対面するのを恐れて逃げたのです。さらになぜ食べたのか、と神から問われると、アダムは、あなたが私に与えたあの女が私に木の実をよこしたのですと答えました。エバに責任転嫁したのです。エバは、蛇が私をだましたので食べましたと蛇のせいにしました。彼らは、自分を守り、直面すべき問題から逃げ、さらには人のせいにしたのです。

「守る、逃げる、人のせいにする」。

これが人のならいとなりました。私たちの人間関係がストレスのもとになったり、不愉快なものに変化してしまいました。あなたの家族との関係、職場での人間関係は幸せをもたらしていますか。

 創造主である神から離れた人間は、生きる目的、意味をも見失いました。生きることに空しさを感じるようになりました。あの木の実をとって食べると必ず死ぬと言われ、人間は死ぬ者となり、死を恐れるようになりました。あなたは心から幸せですといえますか。心から平和ですといえますか。

 神を無視して生きてきた罪をあなたが認めるなら、イエス・キリストはあなたを赦します。あなたは、新しい人生を歩むことができるのです。今までの人間関係が回復されていきます。人間関係がストレスではなくなり、喜びの源となっていくのです。神との関係が回復すれば、生きる意味が与えられます。永遠の命の希望も与えられます。


2.イエスは、あなたを罪の力から解放します

 あなたには、自分を惨めにさせる悪い癖、行動、習慣がありませんか。やめようと思ってもやめられない悪い癖、行動、習慣がありませんか。欲求不満に陥って、誘惑に負けたりすることがありませんか。あなたは、思い煩い、不安、恐れ、ねたみ、裁く思い、赦せない思い、憎しみ、に支配されていませんか。空しさ、死の恐れに支配されていませんか。自分の心を支配する思いから自由になれない、そんなことがありませんか。これらは罪の力です。罪の支配の結果です。

 イエスは私たちを罪の力から解放します。聖書は何と言っているでしょうか。

「わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン」(黙示録1:4〜5)。

「あなたがたは、今は罪から解放されて、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です」(ローマ6:22)。

 聖書は、私たちがイエスによって罪から解放されていることを告げています。でも罪から解放される、そんなことがあり得るのかと疑っていませんか。今まで、努力しても駄目だったからといって、罪の力に屈服していませんか。

 サーカスにいる赤ちゃん象は、杭に結ばれたロープにつながれています。まだ力がないために、ロープを引っ張っても杭を抜くことはできません。すると子象は、自分は自由になれないと感じます。大人になるとどうなるでしょうか。自由になろうとしません。大人になり、杭を抜く力があるのに杭は抜けないと思っているのです。イエスはあなたを罪の力から解放します。

3.イエスは、あなたに罪に対する勝利を与えます

エスはあなたに罪に対する勝利を与えます。聖書にこうあります。

「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう」(コリント一15:57)。

 もちろん自分の力では勝利はできません。神の力によります。イエスは信じる者の心に神の霊を住まわせてくださいます。神の霊が私たちの心を新しくし、罪に打ち勝つ力を与えます。ここには信仰の戦いがあります。力が与えられていると信じて行動する戦いです。人間には罪の力が働きます。神の霊が与えてくれる力で対抗し、勝利するのです。

 教会とは、罪に打ち勝つ喜びを持っている人々の集まりです。罪で苦しんでいる人たちを何とか、助けたいと考え、行動するのが教会です。私たちを罪から救ってくださったイエス・キリストを神と崇め、礼拝しているのが教会です。

 あなたもイエスを信じ、教会の一員となり、人々を罪から救うという尊い働きに参加しませんか。イエス・キリストの誕生を心から喜びませんか。