クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

午前中、地域集会。聖書は

あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい(ヨハネ13:34)。

これをテーマに語り合う。ヨハネ13章は洗足物語であるが、イエス様は弟子たちを愛し抜かれたと13章の冒頭で語られている。

  • エス様が弟子たちを愛したようにとあるが、イエス様はどのように愛したと思いますかのか?
  • 他の教会員から愛された経験はありますか。どのようにして?
  • 他の教会員をどのように愛していますか?

こんな問いを発しながら語り合った。その後は共に食事をする。

 ある姉妹が、主の受難を覚えると胸がいっぱいになると涙を浮かべながら語られたのが印象に残った。以前、読んでいた本に書いてあったことを思い出す。

「あなたなぜ泣いているの」

と妻が尋ねると牧師が答える。

「主の十字架をおぼえても涙が出てこないので泣いているんだ」。

礼拝の時、讃美歌を歌いながら涙することはあるが、この姉妹のように胸がいっぱいになる経験はまだないかな。
 息子が「愛するという生き方だね」と言った。愛することを常に心がける生き方をしたいと思う。

 夜は、受難日祈祷会。受難の記事を読みながら、受難の讃美歌を歌い、主の受難を偲んだ。二人の教会員の奨励を間に挟んで。人数は多くはなかったが、主の受難を覚える貴重なひとときだった。

 終わって仙台から帰ってきた息子としばらくおしゃべりをする。祈祷会を終わって参加者一同でお茶を飲みながらたわいないおしゃべりをしたのだが、「和やかな雰囲気だね」と息子が話した。印象に残ったみたいである。

 年度末で教会総会資料を作らねばならない。「牧師挨拶」「活動方針」などいくつかの文章を書かねばならない。水曜の祈祷会で、議論をしたことが頭に残っている。どういう視点から考えるか。今まで、牧師という立場から、牧師という目線で書いてきた。教会形成をどう行うのか、牧師という立場から教会の現実を考えて、こうしたいと文を書いてきた。これは変えねばならない、そう考えている。牧師の目線からの文章を教会員と共有するのは難しいのではないか、と考えた。

 信徒の目線に立ったらよいのか? 書いた文章を妻に読んでもらって信徒の目線からの感想を聞いたりする。考えた末、私たちは、神の恵みの下になるという視点から考えることがよいのではと思った。