クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

本日のメッセージ(2008.6.8)
聖書 コリント一15:50〜58 神が賜る勝利


1.あなたは神の国にふさわしい者へ変えられる 

「兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません」(50節)。

「肉と血」とはこの肉体のことです。私たちはこの肉体を持ったままでは神の国に入ることはできないとあります。


 聖書は、私たちが魂となって神の国に行くのではなく、復活した体で神の国に入ると告げます。世の終わりの時に、私たちの復活が起きるのです。

「わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます」(51節)。

 終末が来た時、その時生きている人は、今とは異なる状態に変えられるとあります。復活した状態になるのです。

「最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます」(52節)。

 この肉体は、朽ちますが、死者は復活して朽ちない者にされるのです。

「この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着る」(54節)と終わりの日の変化が書かれています。

 私たちがどのように変えられるのか、楽しみですね。私たちは変えられる、そのことを是非覚えていてください。そして私たちが復活した時、

聖書に書いてあったことが本当だったんだなあ、

と神様をたたえましょう。どのように変えられるのか、それを楽しみにしましょう。

2.あなたは死に勝利する 

「次のように書かれている言葉が実現するのです。『死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか』」(54〜55節)。

 この世においては、死は君主として私たちに君臨しています。死は私たちを「死の恐怖」の奴隷とします。人はなぜ信仰を求めるのか、信仰に入るのか。それは人それぞれです。死の恐れからの救いを求めて信仰に入る人は少なくないのです。


神の子であるイエスが死んだのは、

「死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした」(ヘブル2:15)。

聖書ははっきりと、イエス・キリストは、私たちを死の恐怖の奴隷から解放する方だと告げています。こんなにストレートに救いのメッセージが聖書に書いてあります。聖書ってすごいなあ、と驚きませんか。


 神がキリストを十字架の死から復活させた時、死は、絶対的な君主でないことが明らかとなりました。この世においては、人は死ぬように定められていますが、復活の希望があります。


 トンネルを抜けるとそこは、ホニャララ・・だった。有名な作家の小説の出だしです。死のトンネルを抜けるとそこは、常夏の国でもなく、雪国でもなく、神の国なのです。楽しみですね。


 がんで入院している方を見舞ったことがあります。どんな気持ちですか、と訪ねた時、

「治るのもよし、常世の国に目覚めるのもよし」

と言われたことが忘れられません。「輝く とこ世のあした わがたま目覚むる時 この世の朝よりきよく 仰ぎ見ん 神のみかお」(讃美歌30)


 イエス様が十字架の上で死にましたが、復活されたように、私たちも復活し、私たちは死に勝利します。

「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう」(57節)。

 死に対する勝利が約束されています。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブル11:1)。信仰とは、将来起きることを確実なことと認め、疑わないのです。確信するのです。


 信仰に生きる私たちは、この勝利を確信し、神様に感謝しましょう。「天の父、死に対する勝利を与えてくださり感謝します。イエス様、あなたは死の恐怖の奴隷であった人々を解放してくださいました。あなたを賛美します」。


3.あなたは空しさに勝利する 


 さらにもう一つ別の勝利があります。「空しさ」に対する勝利です。

「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」(58節。

 主のわざに励む人にとって、どのような労苦も空しくないと書かれています。疲れた時、ふと空しさに捕らわれることがありませんか。残業が終わり、会社の部屋の電気を消して一人帰る時、育児に追い回されてふと我に返る時、子供たちが皆独立して、夫婦二人になって、この人とこれからも生きていくんだなと思う時、自分は何やってんだろう。こんなこと続けてどうなるのだろう。どんな意味があるのだろう。自分の苦労に意味があるのだろうか、と。


 聖書によれば、たった一つだけ、空しくないものがあるのです。主のわざに励むこと、ただこれだけは、空しくないのです。「自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」。


 空しくないことを私たちは知っています。感じています。ありがたいことですね。若い時、何をすれば空しくないのか、それを探し求めました。神様は答えを与えてくださいました。主のわざに励むことです。主のわざ以外のことは、みな空しいのです。


 その時々に、喜びを与えてくれるもの、それは一時的なものです。一時的な喜びの連続で、人生よかったと、死に臨んで語ることができるかも知れません。最後の審判の時、そのような喜びはくすんでしまい、なきに等しいものになってしまいます。


 主のわざに励んだ人は、神の前に出た時、「よくやった」と栄光の冠を受けることができます。この世にあって主のわざに励む時、その苦労の中にも、神が共にいてくださることが喜びとなります。生きる励みともなります。人生は空しくないのです。神の働きに参加していく時、私たちの心は満たされていくのです。

「主の業に常に励みなさい」。

主のわざに励みましょう。主のわざとは、救いの恵みを受け取り、救いの恵みに生き、救いの恵みを分かち合い、伝えることです。

  • 救いの恵みとは、神が共にいてくださること
  • 救いの恵みとは、罪から解放されて自由に生きること
  • 救いの恵みとは、束縛(思煩、恐れ、思込etc)から自由になること
  • 救いの恵みとは、人を愛することができること
  • 救いの恵みとは、人を赦すことができること
  • 救いの恵みとは、互いに愛し合う家族を持つこと
  • 救いの恵みとは、互いに愛し合う教会に生きること
  • 救いの恵みとは、互いに愛し合う家族、教会を築くために労すること
  • 救いの恵みとは、神に祈り、神に信頼して生きること
  • 救いの恵みとは、御言葉に導かれて生きること
  • 救いの恵みとは、この世にあってキリスト者として生きること
  • 救いの恵みとは、世の光、地の塩として生きること
  • 救いの恵みとは、心から神様をたたえること
  • 救いの恵みとは、聖書から神の言葉を聞くことができること
  • 救いの恵みとは、聖書の言葉に基づく希望を持てること
  • 救いの恵みとは、祈り支えてくれる信仰の友を持つこと
  • 救いの恵みとは、生きて働かれる神様を体験すること
  • 救いの恵みとは、神の家族を目指す教会に生きること
  • 救いの恵みとは、永遠の命を持っていること
  • 救いの恵みとは、あなたは価高く貴い、と言ってくださる方を持つこと
  • 救いの恵みとは、いつも平安でいられること
  • 救いの恵みとは、喜びに満たされて生きること
  • 救いの恵みとは、信仰の成長を喜べること
  • 救いの恵みとは、驚きと発見の経験をすること
  • 救いの恵みとは、皆さんも数えてみてください。


 主のわざとは、救いの恵みを受け取り、救いの恵みに生き、救いの恵みを分かち合い、伝えることです。主のわざに参与する時、空しさが吹っ飛び、喜びが心を満たすことでしょう。神様、感謝します。あなたを賛美します。