本日のメッセージ(2008.6.15)
聖書 コリント一16:1〜12 信仰者の交わり
昨日の岩手・宮城内陸地震起きました。内陸部が震源地のため、被害は山間部が中心のようです。山間部では、山が崩れ、道路は寸断され、村は孤立し、旅館は土砂で押し流されました。自然の破壊力をまざまざと見せつけられました。
今朝地区長からメールが来ました。東北教区では、陸前古川教会がひび割れ、利用不能となっているとのことです。地震で被災を受けた教会の復興のためにも祈り続けたいと思います。
1.私たちは、募金を通して、信仰者の交わりを持つ
パウロは、コリント教会で発生した問題についての指示を書き終えました。そしてパウロ自身が大切な使命としている募金について書き記します。エルサレム教会は貧しい信徒が多かったので、エルサレム教会のための募金をパウロは集めているのです。
教会は献金を募ります。教会もまたお金がかかるのか、と言われたら、かかりますと返事をせざるを得ません。教会の活動をするのに必要なお金は外部から来ません。そればかりではありません。時には対外的な募金も募ります。
パウロはローマの信徒への手紙の中で、募金の理由を書いています。
「異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります」(ローマ15:27)。
イエス・キリストが救い主であるとの福音はエルサレム教会が宣べ伝え始めました。パウロは使徒として、これを地中海沿いに、トルコ、ギリシャの町に宣べ伝えています。エルサレム教会から、「救い」という素晴らしいものを与えられたのだから、募金でエルサレム教会を援助するのは、当然のことではないか、と述べるわけです。受け取った恵みに対して、感謝の応答をしましょうという勧めです。
恩を受けて、恩返しをしないとしたら、それは恩知らずとなります。受けた恩に対して恩返しをする、受けた恵みに感謝の応答をする、それは人間として素直な行動です。応答があるところ、そこに交わり、関係ができます。感謝の応答を忘れそうになったら、オットウ(応答)といって感謝します。私たち信仰者は交わりを重んじます。交わりを支えるのは愛だからです。助け合いを通して、信仰者の交わりの中に生きるのです。
私たちもまた、募金を通して助け合い、信仰者の交わりに入ります。昨年は能登半島地震が起きました。能登半島にある教会が被害を受けました。再建しなければなりません。日本基督教団では、全国の諸教会に呼びかけて再建のための募金を呼びかけています。そして中部教区では、被災した教会が中部教区にあるので、募金について大きな決断をしました。再建に必要な額の半分を集めること、そのために教区内諸教会に献金を呼びかけました。昨年は教区内諸教会で、3600万円、今年は1800万円募る予定です。このような献金を献げることを通して、献金を受け取ることを通して、共に伝道する教会としての連帯を確認します。互いに励まし合い、支え合って、この国に福音を宣べ伝える働きを共に担います。私たちは、募金、助け合いを通して、信仰者の交わりに生きるのです。今年も能登の被災教会の再建のために祈り、また献げていきたいと思います。
2.私たちは、神の支配の中に生きる
「わたしは、今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくない。主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと思っています」(7節)。
「主が許してくだされば」。これは注目すべき言葉です。神が私たちの人生を支配していることを知っている人の言葉だからです。神が支配しているとは、私たちが自分の人生を変えることができないという意味ではありません。神の大きな御手の中に置かれていると言うことです。
聖書は、神が私たちの人生を支配していることを忘れた人を愚か者と呼んでいます。自分の人生を自分でコントロールしようとする愚かさです。イエス様は、「愚かな金持ちのたとえ」(ルカ12章)を語っています。
ある金持ちの畑が豊作でした。彼は、今ある倉は小さいので壊し、もっと大きい倉を建てて、そこに穀物や財産をしまうことを考えます。そして言うのです。
「さあ、これから先、何年も生きていくだけの蓄えができたぞ。一休みして食べたり飲んだりして楽しめ」。
しかし神は、「愚か者よ、今夜、お前の命は取り上げられる」。ヤコブの手紙でも警告されています(ヤコブ4:13〜15)。この愚かさが私たちの中にないでしょうか。あなたは神様から、「愚かな者よ」と言われないと確信がありますか。
それは、祈りを点検すればわかります。あなたが祈りをしない分野が、あなたの生活の中にありますか。たとえば仕事について祈りますか。
職場のことを祈りますか。運転して出かける時、無事を祈りますか。趣味について祈りますか。自分の将来に関わる選択について祈りますか。祈らないということは、その分野については、自分で何とかやっていくという思いがあることを示しています。自分の人生を自分でコントロールしようとする思いがあります。無意識のうちに神の支配を認めていないのです。
神の支配を認めるなら、祈るはずです。私たちはあらゆることを神に祈ることができるし、祈るべきなのです。こんなことは神に祈るべきではない、という考えは間違いです。
「求めなさい」。これがイエスの命令です。
神が私たちの人生を支配している以上、神に何でも祈るべきです。利己的と思えても祈ってよいのです。祈りを通して、私たちは神様と交わりを持つのです。神様のみ心に一致しないことは、私たちが祈っても実現しません。遠慮する必要はないのです。何でも祈るのです。何でも神に相談するのです。神の支配を認めるとは、神に相談するということです。神に助けを求めるということです。神の導きを求めるということです。神は具体的な導きを示してくださると信じることです。
「あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。『これが行くべき道だ、ここを歩け/右に行け、左に行け』と」(イザヤ30:21)。
私たちは確かな導きを神から受け取ることができるのです。神の支配を認めるとは、神が確かな導きを与えてくださると信じることであり、導きを求め、その導きに従うことです。神はあなたのことを大切な存在だと言ってくださいます。その神が、あなたを導かないはずはないのです。神はあなたの人生を支配しているのです。このことを認めましょう。導きを求めましょう。導きをいただきましょう。導きに従いましょう。聖書は神の導きを得る手がかりです。聖書に親しみましょう。今、あなたが神の導きを求めるべき事柄は何ですか。
3.私たちの前に、大きな門が開かれている
パウロは、この手紙をエフェソの町で書いています。彼は、コリントに行きたいのですが、すぐには行けない理由を述べています。
「わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいるからです」(9節)。
大きな門が開かれている。伝道の実りを得ることができるとの意味です。邪魔する者もいますが、救いを必要としている人が沢山いるというのです。まだエフェソで伝道の実りを沢山得ることができるから、伝道したい、と述べているのです。イエス様も言いました。
「目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている」(ヨハネ4:35)。
私たちの前に、色づいて刈り入れを待っている畑があります。私たちの前にも「大きな門が開かれています」。この世の人は「自分を認めてほしい」と叫んでいます。たとえば「自分をほめてあげたい!」と言う人がいます。皆が自分を認めほめてくれるなら、自分で自分をほめる必要はありません。一週間前の秋葉原の通り魔事件。自分を認めてくれる人がいなくて、自分は価値のない存在とやけになった人の反抗です。世の人は、「私の目にあなたは価高く貴い」と言ってくださる存在を求めているのです。
最近のスピリチュアルブーム。占いに走る人の気持ちを聞いてみると、自分の気持ちを伝える人がいないというのです。孤独なのです。世の人は共に生きる友を求めているのです。すべては神から離れて生きる罪が原因です。私たちは神を知り、励まし合い、支え合って生きる仲間がいます。
- 伝道するとは、「私の目にあなたは価高く貴い」と言ってくださる神への信仰に生きる幸いを語る言葉を持ち、それを語ることです。
- 伝道するとは、分かち合うことを通して、重荷を下ろし、安らぐことのできる居場所のあることを伝えることです。
伝道とは、信仰に生きることを幸いとする気持ちをそのまま語ればよいのです。あなたが、信仰に生きることを喜ぶ気持ちをそのまま語ればいいのです。語った後は神様にゆだねればよいのです。あなたの役目は、語ること。信仰に導くのは神の役目。
「反対者も沢山いるからです」。
もしかして、あなた自身が伝道に対する反対者かも知れません。上手にできない、相手から何か言われたらどうしよう。やるからにはうまくやろう、それができないなら、とためらうのです。失敗を恐れているのです。
失敗しないで物事を成功させた人はいません。普通、人は失敗しながら学んでいくのです。失敗してもいいんです。その内、成果が上がります。大事なのは続けることです。神様、用いてくださいと祈って、信仰に生きる幸いを語ればよいのです。
ちょっとだけ工夫しましょう。一つの工夫は、幸いを得る前と、幸いを得た後を対比して語ることです。信仰によって幸いを得たことを喜びをもって語るのです。二つ目の工夫は、信仰によって得た幸いが、どんなにうれしいものかを笑顔で語るのです。伝道の門は大きく開かれているのです。今、あなたは誰に、信仰に生きる幸いを語りますか。祈りましょう
天の父、東北宮城内陸地震が起きました。
被害を最小限にとどめてください。
救助が一刻も早くなされ、一人でも多くの命が救出されますように。
大切な家族を失ったご遺族にあなたの慰めを与えてください。
被災にあった教会の再建のために祈るものとしてください。
天の父、私たちの人生をあなたが支配しておられることを信じます。
あなたの御支配の中に生きる幸いを感謝します。
私たちが生活の中で、あなたの御支配を信じていることが行動となりますように。
あなたの助けの及ばない分野が生活の中にあると信じて、あなたに相談することをせず、一人思い悩むことがないようにしてください。
あなたこそ、まことの神、私たちの生活をすべてご存じであり、また御支配されるかたであると信じます。
それ故、すべてのことについて、何でもあなたに祈ることができますように。
天の父、伝道の門が大きく開かれていることを感謝します。大きな門を開いてくださる神様をたたえます。
まことの神であるあなたを信じる幸いを語る言葉を持つことができますように。
そしてこの幸いを人々に告げることができますように。特に家族、親しい者たちに告げることができますように。
伝えるのは私たちの役目、信仰に導くのはあなたの役目です。
私たちの伝道を祝福し、実りを与えてください。
イエス・キリストのみ名により祈ります。