クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

本日のメッセージ(2008.7.5)
聖書 ヘブル 11:1〜12 何を信じるのか

 コリントの第一の手紙の説教が終わりました。これからしばらく、日本基督教団信仰告白に書かれていることを基に、私たちは何を信じるのか、を聖書から確認したいと思います。教団信仰告白を解説するわけではなく、ここに言い表されていることを学びたいと思います。今回は「信仰」がテーマです


1.信仰の定義

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(1節)。

信仰とは何か、信仰の定義が書かれています。望んでいる事柄が、将来実現すると確信すること、将来に起きることはまだ見ることはできませんが、見たかのごとくに確認すること、それが信仰だと書かれています。自分の望んでいることが将来実現すると確信するのが信仰です。


 実は、この世でもこの信仰に生きている人がいます。たとえば、夢ノートを作成し、自分の夢として実現したいことを書きます。実現のためにすべきことは何か、さらにノートに書きます。そして一つ一つ行い、夢を実現させるのです。


 聖書が「望んでいる事柄を確信し」と言う時、それは自分が考えだした希望ではなく、神が与えた希望です。

「昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました」(2節)。

ヘブライ人への手紙は、昔の人たちがどのように信仰に生きたのかを紹介します。私たちも、それを確認したいと思います。

2.その信仰を神に認められた人たちの信仰とは何か


 その信仰を神に認められた人たちは何を信じたのでしょうか。先に結論を言うと、「神の約束」を信じたのです。彼らは、神の約束が告げることを「望んだ」のです。神の約束が告げることは必ず実現すると信じて生きたのです。信仰とは、神の言葉は必ず実現すると信じることです。


 それは言い換えると、神の語る言葉は本当であるということ、神は語ったことを必ず実現する真実な方である、ということです。


 神は真実な方で、「語ったことを実現する方」だということです。このことを思い巡らすと、この世界がどのようにしてできたのか、それも理解できます。

「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」(3節)。

 この世界も、神が語ることによって存在するようになったというのです。創世記における天地創造は、「光あれ」と神が語り、語ったとおりに実現して世界はできたと語っています。


 その信仰を神に認められた人たちは神の約束を信じたことを今日の聖書から確認します。アベル、エノクについては、聖書は語ることが少ないので、省略します。まずノアです。

「信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り」(7節)。

 ノアの洪水の物語ですね。神は世界を造り、人間を創造されました。神は「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と人間を祝福しました。しかし、人間が増えた世界の有様は、悪が満ちており、神を悲しませる状態でした。そこで神は、大洪水を引き起こし、すべての命あるものを滅ぼすことにしました。


 ノアは、神と共に歩む人だったので、神はノアを救うことを約束します。「あなたは箱舟を造りなさい。あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。生き延びなさい」。神は、ノアに救いを約束し、救われるために箱舟を造りなさいと命じました。


 神が造れと命じた箱舟は巨大な舟なので、ノアは何十年もかけてこれを造りました。ノアが箱舟を造っているのを見た人々は、あざ笑ったでしょう。神が世界を滅ぼす? ばかばかしい。

「その信仰によって世界を罪に定め」(7節)。

ノアを通して人々は神がなそうとすることを聞いたのですが、彼らは信じませんでした。ノアの行動は、神の言葉を信じない人々を罪に定める結果となりました。神を信じなかったからです。そして人々は滅んだのです。ノアは、箱舟という途方もない大きさの舟を造り上げることができるかどうか、わからなかったと思いますが、洪水が来ることを信じ、救いを期待し、箱舟を造ったのです。

「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです」(8節)。

 示された土地に着くと神は、「あなたの子孫にこの土地を与える」と約束されました。創世記によると神はアブラハムにこう約束しています。

「 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める」(創世記12:2)。

そして神はアブラハムに命じます。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい」。

「私が示す地に行きなさい」、

これは命令です。ここでも約束に命令が伴っていることがわかります。


 神が約束と命令を与えた時、アブラハムは75才、妻のサラは65才。二人には子供がいませんでした。夫婦は共に年老いているのに、子供がいないのに、子孫は大いなる国民になるとの神の約束を信じたのです。


 自分の子孫が大いなる国民となることを信じるなんて、愚かに見えます。自分が生きている間には実現しない約束です。本当に実現するかどうか、自分は確かめられない約束です。そんな約束信じるなんて、何の益があるのでしょうか。

アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです」(10節)。

 アブラハムは、天の都を待望していたと書かれています。このことは創世記には書かれていません。アブラハムは、自分の死を超えて実現する神の約束を信じました。それはどういうことか、ただ自分の子孫が増えることだけをアブラハムは信じたのではなく、死後、天の都に行くことを信じたのではないか、と聖書は告げます。


 アブラハムは、年をとっていきますが、子は生まれません。10年たって、神の約束は本当なのだろうか、と疑ったこともあります。

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです」(6節)。

 アブラハムは、疑いと戦いながら、神は求めるものに報いてくださる方、約束の実現を待ち望むものに必ず答えてくださるかたであると信じ抜きました。


3.信仰とは、神の言葉の真実を信じること


 信仰とは何でしょうか。神の語った言葉が真実であると信じることです。それが約束の言葉であれば、神の約束の言葉は必ず実現すると信じることです。


 イエス・キリストを信じる者は、義とされる、これは新約聖書に書かれている大切な神の約束です(ローマ3:22)。イエス・キリストを信じる者は、永遠の命を与えられる、これも新約聖書に書かれている大切な約束です(ヨハネ3:16)。イエス・キリストを信じる者も、また神の約束を信じていることがわかります。

神の約束には、神の命令が伴っていることを知ることは大切です。

 ノアの場合、「箱舟を造りなさい」。アブラハムの場合には「私が示す地に行きなさい」という命令が与えられました。


 神の約束に伴う命令に従う時、新しい人生が始まります。神の約束は、新しい人生へと私たちを巻き込むのです。神の約束を中心とした人生が始まるのです。ノアは箱舟作りの生涯を送り、アブラハムは見知らぬ土地での人生を始めました。神の約束を当てにする者は、自分の人生を神に明け渡すのです。神の命令に従う人生を歩むのです。


 信仰とは、望んでいる事柄を確信することです。神の約束が実現することを喜びとし、待ち望みます。信仰は、約束に伴う命令に従いつつ、約束の実現を待つのです。これが聖書の告げる信仰です。


 そして聖書には、神の約束が沢山書かれているのです。神は約束を通して、私たちを祝福されるのです。「望んでいる事柄を確信」するところに、希望と喜びと平安の生活があるのです。ありがたいことです。