クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 昨日から、中部教区教育部婦人研修会に参加した。テーマは「教会の豊かさと土台」。

 二つのことを考えさせられた。一つは、クリスチャンのアイデンティティーの問題。信仰者の行き方が聖書には書かれている。隣人を愛しなさい、敵を赦しなさい、神に信頼しなさい、・・・。そして信仰者はそれを守ろうと努力をする。守ることができればよいクリスチャン、守れないと、・・・。


 聖書には、「良い木は良い実を結ぶ」とある。悪い木は良い実を結ばない。大事なことは、私たちが良い木であることを信じることではないか。良い実を結んで良い木であることを証明する必要はない。信仰者は、新しく生まれた存在、身分は神の子、新しく造られた存在、神の愛が心に注がれた存在。信仰者は恵みによって、良い木とされている。このことを堅く、深く、信じたい。良い木は自然に良い実を結ぶ。信仰者とはどのような存在か、それをはっきりわきまえることが大切。私は罪を犯しているから、私は罪人! ノー、ノー。私たちは罪を犯しても神の子!

 今ひとつは、聖書の思考方法は、複眼的思考。形式と内容、認識と信頼、要(かなめ)と広がり。相反するものが共に働く時、有効となる。正反合の弁証法


 信仰とは何か。信仰とは、神が御言葉においてわたしたちに啓示されたことすべてを私が真実であると確信するその確かな認識のことだけでなく、福音を通して聖霊が私たちの内に起こしてくださる、心からの信頼のことでもあります。 


 これはハイデルベルク信仰問答の文章。信仰は、認識と信頼の二つの要素が大切。認識に重点を置くと知識偏重の信仰となり、信頼に重点を置くと定見主義になってします。バランスが大事ということもできる。


 扇子には、要と広がりがある。教会の豊さんは広がり、教会の土台は要。