クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 日曜日から、「明日の記憶」という映画について考えている。何が良かったのだろうと。映画の内容は、若年性アルツハイマーを発症した広告会社の部長が、会社で物忘れをする自分に戸惑いながら、妻の勧めで病院で検査し、病名を知る。娘の結婚式までは、会社に勤め、退職する。その後は、家の中で過ごしながら、若い時に親しんだ陶芸に励む。陶芸の仲間であった妻と結婚したのであるが、その妻が彼を支える。


 病気のために退社するまでの会社の仕事をする姿、結婚する娘との関わり、退職後の生活などを淡々と描く。なぜ、心惹かれたのか、今週は思い巡らしていた。


 結論としては、夫婦が一緒に生きていく姿を描いていることに感銘を受けたのだと思う。愛し合うとは、一緒に生きること、そばにいて支え合って生きていくということ。順調な時も逆境の時も共に生きていく、それを淡々と描いている。そこに好感が持てたのだと思う。夫婦愛を映像化した詩を見ているような印象だった。音楽もやさしくて心に残る。


 夫が死ぬまで妻は彼を支えるだろう。夫は妻がわからなくなる。それでも妻は彼と一緒に生きる。希望がないように見える。憂鬱な未来しかないように思える。「明日の記憶」という題が意味深だ。過去の記憶はどんどん失われていく。記憶に残る明日を生きよう、辛くても、苦しくても、人生、悪いものではない、一緒に共に生きることはいいものだ、とメッセージを与えてくれる。この映画の公式サイトには次のようなメッセーが書かれている。

“人を愛すること、そして一緒に生きていくこと”をあなたに問いかけたい。
“生きることの喜び、切なさ、そして素晴らしさ”をあなたに伝えたい。



↑ 日曜日、山を一緒に歩いてくれた人。人生を共にしてくれる人。


 今朝ディボーションをした。エジプトを脱出したイスラエルの民の生活の中でトラブルが起きる。モーセ一人が問題の解決に当たり、大きな重荷を背負っている。叔父のエトロがモーセに指導者をたて、彼らに裁きをゆだね、重荷を軽くしなさいと勧める。


 教会における牧会。これも大きな重荷。分かち合いなさい、と教えられた。


 人が生きるとは、順調な時も、逆境の時も生き抜くと言うことだ。家族が支えとなるとは多くの人が語る。夫婦は支え合う。牧会とは、神と共に歩むことを助け支えることだと思わされる。牧師一人で教会に集うすべての人が、神と共に歩むことを助け支えることはできない。そこで信徒が互いに助け支え合う仕組みを作らなければならない。モーセも組織を作り、生活の中で起きる民のトラブルを解決する仕組みを作った。