クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

本日のメッセージ(2008.9.14)
聖書 ヨハネ 5:39〜40 キリストを証しし、福音の真理を示し

今日取り扱う、日本基督教団信仰告白

 新約聖書神の霊感によりて成り、キリストを証しし、福音の真理を示し、・・・

です。


1.イエスが死んだ時 


 新約聖書の4つの福音書は、イエスという男性が十字架で死んだことを告げています。このイエスは弟子たちを連れて歩き、人々の病気をいやし、人々に神さまのことを教え、神を信じる者の生き方を教えました。


 このイエスイスラエルに救いをもたらすと期待した人たちが多くいました。イスラエルは当時、ローマ帝国支配下にありました。その支配から解放され、独立した国となることを人々は願っていました。イエスが行う奇跡、イエスの教え、それはイエスが解放、独立をもたらす救い主であるという期待を抱かせました。ところがイエスは十字架で処刑されて死にます。


 イエスの弟子たちは戸惑いを感じたに違いありません。

  • なんで死んだの? 
  • これまでのイエスの活躍は何だったの?

 そのイエスが復活しました。弟子たちの前にイエスが姿を現しました。これは喜びでなくてなんでしょう。でもイエスはなぜ死に、なぜ驚くべき復活という事態が起きたのでしょう。イエスの死と復活、それは何を意味しているのか、という探求が始まります。その探求はイエスご自身が弟子たちに説明するところから始まりました。


2.キリストを証しし 


 イエスの二人の弟子が、自分の村に帰ろうとしていました。イエスが死に、イエスと一緒に伝道した日々は終わったので、以前の生活に戻ろうとしたのです。彼らはイエスイスラエルをローマの支配から解放してくれるという期待を抱いていました。その期待は打ち砕かれました。彼らは暗い顔をしながら、エマオという彼らの村にいく道を歩いていました。イエスが彼らに近づきます。不思議なことに弟子たちはイエスと気づきません。弟子たちは言います。

「あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でした。 わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました」(ルカ24:19〜21)。

 イエスはエマオ村に帰る弟子たちに、メシアは苦しみを受けることを聖書から説明しました。その時のことをルカ福音書が描いています。

「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。メシアは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた」。


 「旧新約聖書はキリストを証しし」とあります。これは十字架につけられたイエスはキリスト、つまり救い主メシアであると旧新約聖書は証言をしているとの意味です。イエス旧約聖書から、救い主キリストは苦しみを受けると説明をして、ご自分がメシア、キリストであると弟子たちに語られたのです。


 使徒言行録によるとイエスは、復活してから40日間、弟子たちに話しをされたとあります。イエスは復活して40日後、天に帰られました。それから10日目に弟子たちの上に神の霊が下りました。弟子たちの心の目は開かれ、彼らは聖書を読んでイエスの死と復活の意味をさらに理解し、それを語っていきます。


 弟子たちにより福音書が書かれ、イエスはキリストであると証言する書物が生まれました。さらに使徒パウロは、イエスによる救いが何であるのかを詳しく説明する手紙を書きました。これら福音書、手紙などがまとめられて新約聖書となりました。旧新約聖書は、救い主キリストを証言しているのです。


3.福音の真理を示し


 教団信仰告白は、「旧新約聖書は福音の真理を示し」と続きます。福音とは、イエスの十字架の死と復活の出来事を指します。イエスの十字架の死と復活、それは私たちに救いをもたらす出来事でした。イエスの死と復活は私たちにとっての救いです。そこで、福音とは喜ばしい知らせの意味となります。使徒パウロはこう語ります。

「わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である」。

 パウロは、福音は救いを得させる神の力である、と宣言します。福音は、信じる者に必ず救いを与えるというのです。では救いとは何でしょうか。キリストの死と復活はどんな救いを与えるのでしょうか。その内容については信仰告白が語るその箇所で取り上げます。


 聖書は救いについて色々な角度から様々なことを語っています。それらの一つ一つを聖書は真理と呼んでいます。この真理を福音の真理と呼ぶことができます。


 真理とは何か、と質問されると答えづらいのですが、聖書が語る救いに関わる事柄を指すと考えます。実際に、キリストが与える救いを経験した人々が、その救いが何であるかを書いているのが新約聖書です。


 人間は救いを必要としています。多くの人は自分に救いが必要だとは感じません。それには色々理由があると思います。でも神の霊に導かれて聖書が与える救いが何であるかを知っていく時、自分も救いを必要とすることが分かります。


 たとえば聖書は、この世界を創造した神がおられることを語ります。創造主なる神がいる、これは聖書が語る真理です。聖書は、人間は自分を造ったこの神に背いて生きている、と告げます。人間は罪を犯して生きている罪人である、これは聖書が語る真理です。


聖書は、

  • 神はいかなる方であり
  • 人間がどうして罪を犯すようになったのか
  • この人間を救うために神は何をなさったのか
  • 誰が人間の救い主なのか、
  • 救いとは何なのか、
  • 救われた人はどう生きるのか、
  • 救われて生きる人間には感謝喜び自由があること
  • 救われた人はキリストと一つになること、

など聖書は色々なことを語ります。

 「旧新約聖書は福音の真理を示し」とは、聖書が語ることは皆、救いに関わる真理であるとの意味です。新約聖書は、キリストが与える救いを経験した人々が、その救いが本当なんだと証言して書いたものです。


「旧新約聖書は、キリストを証しし、福音の真理を示し」と教団信仰告白に書かれています。これはイエスが救い主であることを聖書は証言し、聖書が救いについて語る事柄は本当です、という意味です。


4.証しする者 


 教団信仰告白もまた、キリストは救い主であり、聖書が告げる救いは本当だと証言しています。最初にキリストによる救いを経験した人々が書き表したのが新約聖書であり、後の時代の人々は、信仰告白を告白することを通して、キリストが与える救いは本当だと証言してきたのです。そして、わたしたちもまた、教団信仰告白を告白するごとに、キリストが救い主で、キリストが与える救いは本当のものだと告白しているわけです。

「 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない」。


 イエス・キリストは、救われた私たちに命を与えられます。この命に生きる時、

・私たちは救われて、感謝と喜び、自由を受け取って生きることができます。
・神を愛し、人を愛して生きていけるのです。

 今、救われた者として生きることができる、これが大事です。聖書が告げる救いを余すところなく味わうために、聖書が語る救いに関わる事柄、つまり真理を知ることが大切です。そしてその真理と信じることが大切です。信仰は神さまが与えてくださるものですから、「信じさせてください」と祈ることも大切です。


 私たちも聖書が与える救いを十分に味わい、「旧新約聖書はキリストを証しし、福音の真理を示している」と告白していきたいものです。

個人的には、

  • 罪の赦し、戦いを伴う罪からの自由、
  • 死の恐れを含む様々な恐れ・思い煩いからの解放、
  • 神を愛する喜び、人を愛する喜び、
  • リストを信じる群れに加えられ、キリストを宣べ伝える働きをする教会に連なる喜びがあります。

ここに生きる意味、生き甲斐を見出すことができます。讃美歌にあるように、「キリストにはかえられません。世の宝もまた冨も」「キリストにはかえられません。有名な人になることも」。


祈り


 天の父、救い主、イエス・キリストをこの世に送り、私たちを救ってくださったことを感謝いたします。キリストの尊い死により、救われたことを感謝します。
 天の父、救われた私たちが、救いを余すところなく受け取ることができますように。聖書を読むことが少ないために、救いのすばらしさを十分味わえないとしたら、それはは残念なことです。救われた人々を励まし、聖書を読んで真理を知り、救いを十分に受け取ることができるようにしてください。
 天の父、まだイエス・キリストの救いを受けていない人には信仰を与えてください。救いへと導いてください。
 天の父、私たちの信仰を強め、私たちもまたキリストが救い主であることを証しし、伝えるものとしてください。私たちが教団信仰告白を告白する時、その告白を真実なものとしてください。
イエス・キリストのみ名により祈ります。