クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 昨日は、日本基督教団の教師試験が行われた。娘と娘婿の二人がこの試験を受けた。合格すれば正教師となる。晴れて洗礼式、聖餐式を執行できることになる。僕も、自分が試験を受けた時のこと、按手を受けた時のことを思い出す。試験の合格を祈っている。


 今読んでいる本から含蓄のある言葉を書き残したいと思った。牧師であることを考えさせられる文章だ。

 今現在の教会の姿と、ありうべき教会の姿(神の恵みによってやがていつの日か教会がそうなるべき姿)との間のギャップを意識しつづけることは、牧師の召命に含まれる一面なのだ。

 私は聖職者の謝儀が少ないことを正当化するつもりはないけれども、多くの牧師が、高度な教育を受けているにもかかわらず、往々にして貧しい報酬しか受けていないという事実そのものが、「人間の価値は金によって計られる」と信じている文化に対する毅然とした挑戦であると考えている。


 読書し、学ぶことの大切さとすばらしさを感じる。最初の引用には慰めと励ましを感じる。