クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

本日のメッセージ(2008.10.19)
聖書 ヨハネ福音書 14:8〜9 
主イエスによりて啓示せられ


1.御自身を知らせる神 


 「啓示」とは、人知をもって知ることのできない神秘を神があらわに示すこと、と辞書にあります。「啓示」とは、覆われているもの、隠れているものが見えるようになることをいいます。


 啓示によって示されるものとしては、たとえば、「将来起きる」ことがあります。将来何が起きるか、それは人間には隠されています。将来何が起きるか、人間は理解することができません。将来起きることを前もって示す、それは啓示と呼ぶことができます。


 聖書のヨハネ黙示録の冒頭の言葉にこうあります。「イエス・キリストの黙示」。黙示とは啓示のことです。

「この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである」(ヨハネ黙示録1:1)。


 あるいは、啓示によって示されるものとして、神があります。神を信じている人は沢山いますが、自分が信じている神がどのような神なのか、知らない人は沢山いるのではないでしょうか。神社でお賽銭を献げてお祈りする人がいます。彼らはどんな神に祈っているのか、知らないと思います。


 通常、神とはいかなる存在なのか、人間にはわかりません。啓示とは、神御自身、自分がどのような存在なのかを人間に対して明らかにすることです。


 日本基督教団信仰告白は、主イエス・キリストによって神が啓示された、と語ります。主イエス・キリストは、神がどのような方なのかを私たちに教えてくださったという意味です。

 今日読んでいただいた聖書は、イエスの弟子のフィリポが、父なる神とはいかなる存在か教えてください、とイエスに質問した場面です。イエスは、「私を見た者は父を見たのだ」と答えます。イエスを見れば、父なる神がいかなる方であるかがわかるとのイエスの答です。


 神はイエスをこの世に送られました。イエスを通して神は御自身を現してくださったのです。


 キリスト教信仰の特徴は、神が御自身のことを人間に知らせてくださるから、神を信じることができる、と考える点にあります。神が御自身のことを私たちに知らせてくださるので、私たちは神様のことをはっきりと知ることができるのです。御自身を人間に知らせてくださる神を信じる、これが聖書に書かれている信仰です。


 啓示の例を聖書に見てみます。旧約聖書に書いてあります。


創世記17:1で神は、アブラハムに対して、

「私は全能の神である」

と語られました。全能であることを具体的に、出来事を通して示されました。アブラハムが100歳、妻のサラが90歳の時に、サラが子を産み、子供が与えられたという出来事が神の全能を示しています。年老いアブラハム夫婦に子供が生まれるはずはないのです。彼らに子供を授けることを通して、神は御自身が全能の神であることをはっきりとお示しになりました。


出エジプト6:2で神は、モーセに対しては、

「私は主である」

 と語り、「主」であることを伝えました。「主」ということは、神を信じる者たちは、この神に従うべきであることを意味します。「主」は、「主人」の「主」です。しもべは主人の命令に聞き従います。「主」なる神は、人間を愛し、人間を守り、人間が神と共に歩み、幸いに生きるために、人間に戒めを与えます。神は、人間が心から敬い、聞き従うべき存在であることを示すのが「主」という呼び方です。神は、ご自分が「主」であると啓示されたのです。


 預言者イザヤを通して、神はこのように御自身のことを語っています。

「わたしは主、あなたの神/イスラエルの聖なる神、あなたの救い主。私の目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し」(イザヤ43:3〜4)。

神は、私たちのことを尊い存在と考えてくださるお方であることがわかります。


2.御自身を知らせる神の方法


 神はどのように御自身を啓示されるのでしょうか。聖書によると、神は特定の時に、特定の仕方で、特定の人に御自身を明らかにされました。


ヘブル1:1にこうあります。

「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られた」。

神は預言者たちに対して、多くの方法で、御自身を示されたというのです。神は夢で、幻で、直接語ることを通して、あるいは出来事を通して、御自身を示してこられたのです。


ヘブル1:2には「

この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました」。

 イエス・キリストによって、御自身がいかなる方かを示されたというのです。


 こうしてみると、神は、<いつの時代、どこにおいても、一人びとり>に御自身を現し、その人を信仰に導くことはなさっていません。神は預言者たちを通して、またイエス・キリストを通してご自身を現されています。


 では、私たちに対しては、神は御自身のことをどのように示してくださるのでしょうか。私たちには聖書があります。


・神様が御自身を預言者たちを通して知らせたことの記録が、聖書に書かれています。
・神様が、イエスを通して、御自身のことを知らせたことの記録が、聖書に書かれています。


 この聖書が、今、私たちに対して神を教えてくれる書物となりました。この聖書が、今、私たちに神を啓示する書物となりました。ですから私たちは、聖書を通して神がいかなる方かを知ることができます。礼拝説教を通して、また聖書の学びを通して、神がいかなる方かを知ることができます。神を知るために、さらに大切なのは、私たちが自分で聖書を読み、神を知ることです。


 ここで大切なことは、聖霊の導きによって、神が聖書に書かれているとおりのかたであると確信を持つことです。聖霊の働きによって神との出会いが起きるということです。


3.御自身を知らせる神の愛 


 御自身のことを人間に知らせようとする神の思いは何でしょうか。御自身のことを私たちに知らせようとするときの神の気持ちは何でしょうか。どう思いますか。


 あなたは御自分のことを他の人に知らせようとするとき、どんな気持ちになりますか。自分がどのような人間なのかを正直に人に語ろうとするとき、どんな思いですか。親しい人に自分のことを語ろうとするとき、あるいは、初対面の人に語るとき。CSの子供たちに語ろうとするとき。


 神がご自分のことを人間に知らせる時、そこには神の愛が現れていると思います。


 若いカップルがおしゃべりをしている時、自分のことを話します。相手に自分のことを伝えます。相手に自分のことを話すのは、相手に自分のことを理解してほしい、知ってほしいという気持ちからです。相手が自分のことを知って自分を愛してくれるように、自分のことを語るのです。


 また相手を愛しているから、自分のことを知ってほしくて自分のことを語ります。神がご自分のことを現すのは、人間を愛しているからです。


 神も、人間を愛していることを知らせたいのです。そして、神がご自身を現す時、神は、私たちの応答を期待するのです。私たちが神の啓示を受け、神と出会う時、そこに神との交わりが生じます。神との人格的な関わり、それがキリスト教が告げる信仰です。


 キリスト教の信仰と特徴は、神との交わりに生きることにあります。神との交わりに生きる、それがキリスト教信仰の本質です。神とのつきあいが始まるのです。人はこれを神との人格的な出会いと呼びます。神が御自身を現し、人との出会いを求めるのです。神と出会い、神とつきあって生きる、これが私たちの信仰です。


 聖書は神についての知識を私たちに与えますが、神との出会いは、聖霊が与えてくれます。


 神との交わりのためには、祈りは欠かすことのできないものです。会話のように、祈りは相手に向けて、神に向けてなされるものです。神との出会いを与えられた者は、願い事をするために祈るだけではなく、自分の気持ちを伝え、それに対する神の答を祈祷とするでしょう。


 神との交わりのためには、聖書も書かすことができません。聖書を通して神の語りかけに聞くのです。聖書を私たちは読みますが、その時、神の語りかけに聞くのです。聖書を読むときも、神との交わりの時だからです。神は、私たちとの交わりを求めて、御自身を現されるのです。私たちに語りかけてくださるのです。


 神は、私たちを愛し、私たちとの交わりを求めて、ご自身を現されるのです。そして、私たちは、神に応答して、神との交わりに生きるのです。


 神との交わりに生きるという自覚が薄いなら、まことのキリスト教信仰から離れている可能性があります。神との交わりに生きる信仰に歩みましょう。


祈り


 天の父、聖書を通して、あなたのことを知ることができることを感謝します。聖霊に導かれる中で、あなたと出会い、あなたとの交わりに生きる信仰に犯されていることを感謝します。この世にあって、私たちは孤独ではありません。あなたが共にいてくださいます。辛い時も、寂しい時も、苦しい時も、喜びの時も、くつろぎの時も、あなたが共にいてくださいます。あなたが共にいてくださることを知ることは何と幸いなことでしょう。あなたから励ましや力、慰めをいただけることは何と幸いなことでしょうか。天の父、あなたのことをもっと私たちに知らせてください。あなたとの出会いを与えてください。そして私たちをあなたとの交わりに生きるものとしてください。イエス・キリストのみ名により祈ります。