クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 妻が娘の所に行った。孫が生まれたから。孫の名前は「希歩」。何と読むのか。難しい名前をつけるものだ。ノアと呼ぶそうだ。
 午後は弟子コースの学び。この学びの中で、共にディボーションの分かち合いをして、互いの課題を祈り合っている。僕も牧師としての課題を祈ってもらっている。祈りの交わりは感謝だ。牧師と同じ立場に立って、教会形成に重荷を共に負ってくれる。幸いなこと。ありがたいこと。


 研修会の間、一つの気づきを与えられた。


 静岡にある教会に仕えていた時、東京までディボーションの学びで10回ほど通ったことがある。毎回ディボーションの分かち合いがあるのだが、ある人の語った話が忘れられない。

 父が亡くなった時、遺体のおいてある部屋に一人でいた。その時、神がここにおられるとひしひしと感じた。

 これは一種の神秘的な体験といえる。神の臨在を実感する、うらやましい体験だ。でも僕には、こうした神秘的な経験はない。


 しかし神は、いつも、私はあなたと共にいると語りかけて下さる。それは聖書を通して。ありきたりの話か。


 聖書を読む時、神の語りかけとして聞く。それなら、聖書を読む時、神の臨在を信じることになる。そう、神は、聖書を読む時、語りかけて下さる。聖書を読む僕と共にいて下さるのである。僕は神の臨在の中で、聖書を読むことになる。


 神の臨在をしっかり信じて、聖書を読みたい。