クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 神はソロモンに何事でも願いなさいと言った。もし自分が神からそう言われたなら、何を祈るのだろうか。一人でも多くの人を救いたい、という救霊の思いを求めればよいのだろうか。伝道者なのに、救霊の「熱〜い熱〜い」思いは僕にはない。町に出て行って声をかけずにはおれないとか、そういう熱心さはない。だから、これを祈り求めたらよいのだろうか。救われた時の感激から、救霊の思いの強い人を知っている。僕は、救霊の思いに至るような感激はなかった。


 密かな思いがある。それは伝道できる信仰者を育てることだ。このことなら熱心になれると確信はあるし、熱心に努めている。人にはそれぞれ賜物があるから、救霊の思いから伝道熱心になる人がいてもよいし、信仰者を育てるのもよいのではないか。


 僕は意識的に信徒を育てる牧会をしている。説教だけで信徒の信仰が育つとは思えない。先日、「長老の資質」というテーマで研修会があり、教会の長老たちと共に参加した。充実した講演で、内容も良かった。長老として、神を愛し、人を愛する資質を、そして献身する資質を持つことが大切。講演を聴いた者は誰もがその通りだと思ったはず。いかにその資質を身につけるかが講演を聴いた後の大切な課題である。講演を聴いた長老が自主的にそれを目指すことを期待したいが、何事も身につけるには、努力が必要で、工夫が大事だ。


 入門コース、基礎コース、弟子コースと三つの学びをして、信仰の成長を目指している。人間は20年かけて成人となる。信仰が成熟するにもそれなりに時間がかかる。それを覚悟しなければならない。思い通りには行かないのだ。でも励みたいと思う。