クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

本日のメッセージ(2008.12.14)
聖書 テサロニケ二 2:13〜17  神は恵みをもて我らを選び


教団信仰告白は語ります「神は恵みをもて我らを選び」。神に選ばれている恵みをお伝えします。


高校生時、若いとは可能性が無限にあることだと語る先生がいました。いかに生きたらよいか、語りかけてくれる先生がいるものなんですね。そうか、と思い、うれしく感じたことを思い出します。


エスは、二つの可能性を教えられました。狭い門から入る人生と、広い門から入る人生です。イエスは教えます。


「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」。狭い門から入る、それは神に選ばれて生きることです。


1.神は私たちを招き、選ぶ方 


 今日の聖書に、神は「あなたがたをお選びになった」(13節)「あなたがたを招かれたのです」(14節)とあります。神は、私たちを招かれる方、私たちをお選びになる方であることがわかります。

聖書に登場する神は、私たちに呼びかける神様です。神は私たちを召される方です。

 神は何のために私たちを呼ぶのでしょうか。神の目的を果たすために、私たちを呼び出すのです。この世にいる多くの人々の中から、私たちを呼び出すのです。私たちに使命を与えると言い換えることもできます。


今日の聖書では、神は、「あなたがたを救われるべき者の初穂となる」ために選んだとあります。あるいは、「イエス・キリストの栄光にあずからせるために」、あなたがたを招いたとあります。


信仰者となりなさいという促し、招きもあります。私は、かつて礼拝で、説教を聞き終えた時、洗礼を受けるようにという神の促しを受けました。


 旧約聖書には、神に選ばれ、神の呼びかけを受けた人々が何人も登場します。アブラハムは、「わたしの示す地に行きなさい。あなたを大いなる国民にする」(創世記12:1〜2)との神の声を聞きました。彼は、信仰の父となるように、神から選ばれたのです。


 モーセは、「わたしはあなたをエジプト王のもとに遣わす。わが民イスラエルをエジプトから連れ出すのだ」との神の呼びかけを聞きました。モーセは、イスラエルの民の指導者となるように、神に選ばれました。


 イザヤは、「誰を遣わすべきか。誰が我々に変わっていくだろうか」との神の呼びかけに答えて、「私がここにおります。私を遣わしてください」と神の呼びかけに答えました。預言者として神のみ心を語りました。


 預言者エレミヤに対して神は、「私はあなたを母の胎内に造る前から、あなたを預言者として立てた」と語りました。神は、エレミヤがこの世に存在する前に、彼を預言者に選んだというのです。

聖書の神は、神の目的に生きるように、私たちを招き、私たちを選ぶ方なのです。
この神が私たちを招き、私たちを選んでくださること、これは「恵み」なのです。


 私たちに何か資格があって、あるいは何かふさわしいものがあるので選ばれるのではありません。選ばれるためのふさわしさは、私たちにはないのです。でも神は、一方的に私たちを選んでくださるのです。それは神の愛に根ざした選びなのです。


イスラエルの民は、神の民として生きるように神に選ばれました。

「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに」(申命記7:6〜8)。


 神の選び、それは神の愛に根ざすものでした。神の愛に基づく、神の選び、それは神の恵みです。そして私たちも信仰に生きるように神に選ばれたのです。


 私たちの前には、二つの人生があります。どちらを選ぶかは、私たちの自由です。一つは、神の呼びかけに答えて、神の目的に生きる人生です。今ひとつは、それとは関係なしに、自分の目的に生きる人生です。


エスは、「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」(マタイ22:14)と言いました。


 神はすべての人を招いているのです。神の招きに答えるのは、少なく、それは神に選ばれた人だけなのです。

神を信じるとは、神が私を呼んでおられると信じ、その呼びかけに答えて生きることです。
私たちを選んでくださる神の恵みを受けて生きる、それが神を信じるということです。


 神は公平な方ですから、すべての人を招き、すべての人に呼びかけています。でもすべての人が、神の招きに答えているわけではありません。神に選ばれた人が、神の呼びかけに答えているのです。


神は、神の目的を自分の人生の目的として生きるように、今も人々を招いておられます。あなたも、招かれているのです。


2.私たちは招き、選びに応じて生きる


 神の招きに応じ、神に選ばれた人は、神の目的に生きようとします。「あなたの人生の目的は何ですか」という問いがあります。それに対して、「神に栄光を帰すことです」と答える有名な信仰問答があります。人生の目的、それは神をたたえることだというのです。神の目的に生きる、それが神をたたえることです。詩編にも書かれています。

「後の世代のために/このことは書き記されねばならない。主を賛美するために民は創造された」。

 今日の聖書では、私たちが神に選ばれた目的が、「救われるべき者の初穂となる」と書かれています。私たちの姿を見て、他の人々が神の招きに応じるようになること、それが私たちの生きる目的だとあります。あるいは「イエス・キリストの栄光にあずかる」こととあります。イエス・キリストは神から救い主という名誉を与えられました。私たちも忠実な信仰者よと神から栄誉を与えられるために生きるという目的があります。


 心に留めておくべき事は、イエス・キリストは神に忠実に歩み、十字架で死ぬことを通して、救い主としての名誉を与えられたということです。


 神の目的に生きるとは、何もかも順調でうまくいくとは限りません。神の目的に生きることは祝福ですが、悩みも苦しみもない幸せなものとは限りません。まして自分の願い通り、自分の思い通りになる人生でもありません。

 神の目的に生きる人生とは、神の願い、計画が実現する人生です。神の喜びを自分の喜びとする人生です。そしてそれは、祝福に満ちた人生なのです。神がいつも共におられる人生です。

 イエスも十字架にかかる前の晩、ゲッセマネの園でこう祈られました。「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」。神の目的、神の計画が実現し、神が喜ぶことを自分の喜びとするように、私たちは選ばれたのです。


「兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい」(15節)。


 神に招かれ、神に選ばれた者として、教えを守りなさいとの勧めです。神の教えに従いなさいとの命令です。


 ここで大切なことはどれぐらい完全に神の教えを守れるか、ということではありません。私たちはうっかりすると、神の教えを立派に守り、神に喜んでもらおうとします。私たちは神を喜ばせるために生きるのではありません。


 神が喜ばれることを自分の喜びとするために生きるのです。神の教えに従うことは神が喜ばれます。だから、私たちは、神の教えに従うことを喜ぶのです。少しでも教えを守ることができることを喜ぶのです。


 私たちが、神の教えを大切にし、神の目的に生きる時、私たちの人生が造られていくのです。アブラハムも、モーセも、神に従う中で、神の導かれる人生を送りました。それは自分が思いもしないものでした。神に用いられる中で、私たちの人生が造り上げられる、これも恵みです。大きな恵みです。

もし、信仰者となった私たちが、神の目的に関心を示さず、自分の目的に生きることをしていると、それはねじれた人生になります。

 今国会はねじれ国会と言われます。ねじれ国会にストレスと嫌気を感じて、首相を辞任した人もいます。思い通りに行かないわけですね。


 信仰者も、神に選ばれ、神の目的に生きるものとされながら、その目的に関心を示さず、自分の目的に生きるなら、ねじれ人生を歩むことになります。この点は、信仰者は注意しなければなりません。


 神の目的に従う中で、私たちの人生が造られていく、これは恵みです。神の喜びを喜びとする素晴らしい人生です。神様、ありがとうと感謝をもって閉じることのできる人生です。


 神を信じなくたって、わたしの人生はいい線を行っているという方がおられるかも知れません。神の目的に生きる人生は、さらにいい線を行くんです。


 アブラハムは、満ち足りて死んだと聖書は語ります(創世記25:7)。あなたは満ち足りて死ねるという確信がありますか。


3.神は私たちの心を励まし強める方


 パウロ祈ります。

「神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように」(17節)。

 神は、私たちの心を励まし、心を強めてくださる方です。心が強められるとどうなるのでしょうか。私たちは善い働きをすることができ、善い言葉を語ることができるようになるのです。


 私たちは、善い働きができ、善い言葉を語ることを神に願うのではなく、心が励まされ、強められることを祈るのです。期待するのです。


 心にあることが言葉となって口から出ます。心にあることが行動になって現れます。私たちは心が強められることを願い、それを神はかなえてくださいます。


 パウロは神に祈っています。私たちは他の人の祈りに支えられて生きるのです。共に神の目的に生きるので、私たちは互いに祈り合い、支え合うことができるのです。これもまた恵み、幸いです。


祈り


 天の父、あなたが私たちを選び、あなたの招きに答える者としてくださったことを感謝します。

どうか、あなたの目的に生きる者としてください。

信仰者として漠然と生きるのではなく、ねじれて生きるのでもなく、まっすぐにあなたの目的に生きる者としてください。

あなたが私たちに期待していることを目指して生きる者としてください。

天の父、あなたの目的のために、自分自身を献げます。必要な力を与え、励ましてください。

すでにあなたを信じている者たちを導き、キリストの弟子となる志を強めてください。

善い業を行い、善い言葉を語ることができるように、私たちの心を強めてください。

天の父、信仰求めてここにいる方もおられます。

神の目的に生きるように神が招いておられることを知らせてください。

神の目的に生きるように選ばれていることに気づかせてください。

あなたに選ばれていることを知ることは幸いなことです。

あなたの選びに答えて生きることは幸いなことです。

あなたに選ばれていることを誇りとし、あなたに答え、あなたの栄光を表す者としてください。

イエス・キリストのみ名により祈ります。