僕は若い時、家の本棚には、岩波版夏目漱石全集を飾りたいと思っていた。そして朱色の全集が今並んでいる。今ひとつ並んでいる全集は、ミヒャエル・エンデの全集。そして『ジム・ボタンと機関車』『ジム・ボタンと13人の海賊』を読み、今は『モモ』を読んでいる。『モモ』は2回目だ。あらためて本が好きなんだと思う。
昼過ぎ、WBC(ワールドベースボールクラシック)の試合を放映していた。最後の決勝戦は、日本と韓国。決勝戦にふさわしい見応えのある試合だった。野球を見て感動を覚えたのはこれが初めてかもしれない。
『復活』(日本基督教団出版局)も読んでいる。文を寄せている人の少なくない人が、復活を理性で理解しようとしている。ある人はこう語る。
復活は史実ではないが、真実だ。
彼は、キリストが死者の中からよみがえったという歴史的事実は否定する。しかし、イエスが今、自分と共にいることは信じるという。それを彼は復活と解釈している。死者からの復活は、現代の知性では信じることはできない。そこで復活をどう理解するか、・・・と語る人が少なくないので、落胆を覚えた。人間の理性を超える神の行為に対して、謙遜になるべきだと僕は思う。パウロがアテネで伝道した時も、アテネの人々は復活を語るパウロをあざ笑った。イエスの死者からの復活は、聖霊が信じさせてくださる神の業である。