クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 聖書

 聖書を読む時大切なことがある。複眼的視点。
 ある神学者は、聖書は神の啓示の証言の書であり、神の言葉ではない。しかし聖書を読む時、その証言が神の言葉に「なる」と考える。別な人は、聖書は神の啓示の書であり、神の言葉で「ある」と考える。この「ある」と「なる」を対立するものと考えるのが普通である。しかし、この二つは緊張関係の中で、共に成立すると僕は考える。それが複眼的視点。


 聖書が神の言葉で「ある」なら、聖書を読んだ人が読んでも神を信じるとは限らないのはなぜか。聖書が神の言葉に「なる」時、信仰が生まれるのである。


 聖書の啓示の証言の書で神の言葉に「なる」なら、聖書以外の信仰に関する本、たとえば信仰者の証しの言葉が、神の言葉に「なる」事だってあり得る。何も聖書だけに信仰の規範を限定する理由がはっきりしなくなる。実際信仰書が読まれ、人々に励ましを与えるとしたら、それは神の言葉としての役割を果たしていると言えるのではないか。


 あれかこれかではなく、聖書には、神の言葉で「ある」面と神の言葉に「なる」面と両方ある。二つの視点から聖書を考えることが大切と考える。