クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ


能登半島地震で被災を受けた富来伝道所の新会堂。3月17日に献堂式が行われた。


 朝目が覚めた時、「ヘロダイシン」という言葉が頭に残っていた。グーグルで検索しても、引っかからない。意味のない言葉であった。何でそんな言葉が残っているのか不思議だ。


 月曜から孫を連れて金沢に来ていた娘が孫と一緒に今日奈良に帰った。昨日、娘の夫が来て、二人で一緒に帰った。小さな孫なので、おむつの取り替えなど、娘一人での旅は大変なので、来る時は妻が奈良まで行ったし、帰りは夫が迎えに来てくれた。若い伝道者夫婦、頑張っているみたいだ。


 夕方、予定外ではあったが、これをしなければとの思いで、『赦しの神学と人間学』(森本あんり、国際基督教大学学報 『人文科学研究』VOL39より)を読んだ。読んで感動した。赦しについてもっと学んでみたいと思った。赦せない人がいると語る人が少なくないので、赦せるようにしてあげたいという気持ちがある。赦しについて書かれた本も集めている。森本氏は、ゆるす行為には人間に固有の尊さがあると述べている。


 僕自身は、赦しを求められ、赦しますと相手に伝えたことがある。その相手から声をかけられたりするとドキッとするので、心の中では赦し切れていないのか、と思ったことがある。そして神の前で、赦しますと告白して、心の整理がついた気がする。その人は僕を強く責めたのである。そして後で、言い過ぎたと謝罪してきた。それで僕は赦しますと気持ちを伝えた。でもその人から声をかけられるとドキッとした。僕の心の中には恐れがあったのである。僕は妻に、赦せないという気持ちはないけど、恐れの気持ちがあると話すと妻は「それは赦せないということなのよ」と言った。恐れと赦せない思いとは違うような気もするが、会いたくないという思いが結果として生じるという点では共通している。