クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

本日のメッセージ(2009.4.26)
聖書 コリント一8:6 父なる神を信じる恵み


父なる神を信じ、神の子として生きる、これは幸いなことです。

 私たちは、様々な人間関係に生きています。そういう中で、私たちは自分の心に注目します。快く感じているのか、不満を感じているのか。自分の心を大切にしてよ、と人に訴えます。その反面、相手の心をどれほど大切にしようとしているのでしょうか。愛するとは、相手の心を大切にすることですね。お互いに心を大切にする、そこに交わりが生まれます。そして信仰者は、神との交わりに歩みます。神を愛し、神に愛されて生きていきます。


1.信仰とは、神の子供として生きていくこと 


 私たちは神を父と呼びます。 主の祈りの最初でも、「天にまします我らの父よ」と言い、神を父と呼びます。信仰を持つとは、神の子になることです。


「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです」(ガラテヤ3:26)。

 信仰に生きる人は神を父とし、神の子として生きていきます。信仰者は神の子として、父なる神との関わりに生きるのです。しかも密接な関わりを持って生きることです。

私たちが密接な関わりを持つ第一は、家族です。

  • 同じ家に住み、一緒に過ごす時間が多いです。
  • 食事を共にします。娯楽を共にします。
  • 子供のこと、親の介護のこと、夫婦は力を合わせます。
  • 子供と楽しく遊びます。
  • 家族は親しい関わりを持つものです。
  • 職場の人とも密接な関わりを持ちます。仕事を協力しながらするわけです。


 一週間に一時間は一緒に過ごす人というのは、私たちが密接な関係を持っている人と呼ぶことができるそうです。毎週祈祷会に来られる人には親しさを感じます。密接な関わりの場合には、私たちは率直に話します。本音で物を言います。時に、争いや対立も起きるでしょう。夫婦げんかをするのも、密接な関わりを持つから生じることです。密接な関わりを持つ人に対して、私たちは喜び、好き、嫌い、不満、楽しさ、などさまざまな感情を抱きます。密接な関わりこそ、私たちに幸福をもたらし、また悩みやストレスをもたらします。


 同じ関わりを持つにしても、密接でない関わり、通りすがりのような関わりもあります。うわべだけのつきあいになりがちで、争いや対立は起こさず、無難な関係にとどまろうとします。喜びもないし、悲しみもありません。感情的になることもなく平穏です。


 私たちが神を父として生きるとは、神との密接な関わりに生きることです。私たちが持つ、父なる神との関係って、具体的にはどのようなものがあるでしょうか。

  • 生活の中から生じる問題について神に願い事をいう
  • どうしたらよいか迷うことについて、聖書を読んで導きを求める
  • 説教を聞き、聖書を読んで教えを受ける
  • 教会の働きに仕えることも神様に仕えることですね。
  • 職場の同僚や教会の兄弟姉妹のために祈る
  • キリストに似た者となるように、成長を求める、神が喜ばれますね。
  • いつも喜び、すべてのことを感謝する、
  • 地の塩、世の光として生きていこうとする
  • 神の約束に期待する
  • 神の恵みを感謝して受け取り楽しむ、
  • 神の恵みできるだけ沢山数える
  • 神のご計画に仕え、御心を行う。

 これらは神との関わりのほんの一部です。神との関わりを持つ中で、信仰生活が豊かになっていきます。神様を父とする信仰生活、それは豊かな関係を神との間に持つことのできる生活です。父なる神との密接な関わりに生きる生活は幸いな生活なのです。

  • 自分は神とどういう関わりを持って生きているか、書き上げてみませんか。
  • どういう意識を持って神と関わろうとしているのか、吟味してみませんか。
  • 要は、あなたは神のみ心に関心があるかどうか、神を愛しているかどうかです。

 神との関わりを意識することは、私たちの人間関係を豊かなものにします。私たちは神だけではなく、人との関わりに生きているからです。


2.神の子イエスの模範 


 父なる神と密接な関係を持って生きた代表的な人物はイエスです。イエスは小さい頃から、神をつまり天の父と崇める生活をされました。父なる神の教えを学ぶことを喜びとしていました。そして神殿で学者たちと議論するのを楽しみとしている少年でした。


 大人になってからは、福音を宣べ伝える働きを行いました。それは父なる神から与えられた使命でした。父の御心を大切にされたイエスです。イエスは夜明けに、また夜更けに神に祈りました。祈りによって、神と共に過ごす時間を多く取られました。また、私の食べ物とは、神のみ心を行うことだと語り、神のみ心を行うことを大切なこととされました。普通食べ物と言えば、楽しみの最たるものですね。イエスは神様の御心を行うことを大きな喜びとされたほど、心が父と一つだったのです。


 イエスの生涯の頂点は十字架でした。十字架にかかる前、イエスは、汗をしたたらせて祈りました。「この杯を取りのけて下さい」。十字架の死を避けることができるなら、避けさせて下さいと願われました。同時に、「私の願いではなく、御心のままに行って下さい」と神のみ心の実現を何よりも優先されました。


 子として、父に対して徹底的に従順に歩み、父なる神を崇めていたと言うことができます。そんな人生幸せだったの? という人がいるかもしれません。最後に十字架で死んでしまう、そんな人生が何でよいものか! イエスの喜びは、人が予想するものとは違っていました。

「地の果てまで/すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り/国々の民が御前にひれ伏しますように」(詩編22:38)。

  • 父なる神のみ心を深く受けとめ、父の御心の実現のために尽くすことを喜びとされたのです。
  • たとえ命を捨てることがあっても、父の御心の実現のために自分を献げることが喜びだったのです。
  • 父の子として生きる、これほど光栄な歩みはないことをイエスは私たちに教えておられるのです。

 イエス様は十字架の死の後、復活され、そして天に挙げられました。死に至るまで、十字架の死に至るまで従順に歩まれた主イエスの名は、最高の名とされました。すべてのものがこの名前の前にひれ伏すとあります。


 私たちの生涯は、死をもって終わりません。キリストの再臨、最後の審判、そして神の国の実現という将来が待っています。神の国が実現した時、すべてのものが、イエスは主であると告白して神に栄光を帰することになります。イエスは、主であるとすべての被造物によって崇められます。


 神の国が到来した時、神の子として歩んだ人生の真価が問われるのです。父なる神とどのように関わって生きたのか、それが私たちの人生の価値を決めることになります。


3.父は、いつも共にいて下さる神である 


 先週、聖書日課に従って出エジプト記を読みました。イスラエルの民がシナイ山の麓で金の子牛の像を造った後のことです。イスラエルの民が偶像礼拝の罪を犯したので、神は怒りました。モーセは神の怒りをなだめます。その後、神は、約束の地を目指して旅をするように命じます。


 その時、神は民の間にいることはしないと語られました。神はイスラエルの民と共にはいないと言ったのです。イスラエルの民が頑なな態度を取り、彼らを神が滅ぼすかもしれないからだ、と神は言うのです。民はこれを聞いて悲しむのです。


 これを読んで思い巡らした時、私は気づきました。神がいつも私と共にいて下さると自分は信じているのだと。変な話ですけど。いや、神が共にいて下さらないなんて信じられないと感じました。そして、自分は、父なる神が共にいて下さると信じて生きていることにあらためて気づいたのです。そして幸いな人生を歩んでいるのだ、と確信しました。


 神の子として父なる神が共にいて下さると信じて歩める、幸いなことだと感じました。私たちの人生に何が起きていても、父なる神が共にいて下さる、そこに信仰者の幸いと平安があります。

  • あなたは誰と共に人生を歩んでいるのですか。
  • 神と共に歩んでいますか。
  • 神と密接な関係で歩んでいますか。
  • あなたは密接な関係にあると確信できるほど、神との交わりに時間を割いていますか。
  • 神との関わる生活の中で、どんな豊かさを味わいましたか。
  • 神と共に歩む幸いを他の人々に伝えることができますか。

神を父と崇める幸いな人生を歩んで下さい。


祈り


 天の父、神を愛し、人を愛して生きることが神様の大切な教えです。愛するとは、相手の心を大切にすることです。
 天の父、あなたが私たちを愛し、私たちの心を大切にして下さることを信じます。だから、私たちもあなたの御心を大切にすることができますように。
 自分の心だけ大切にして下さい、あなたの心は関係ありません、では自己中心になります。
 あなたと愛し、あなたのことをもっと知り、あなたとの関わり、交わりを豊かに持つことができるように私たちを導いて下さい。
 あなたに対してどのような関わりを持って生きてきたのかを吟味することができますように。それによって、あなたとの交わりを新たに、豊かにする出発点とすることができますように。
 私たちが、信仰の歩みを分かち合い、神様との交わりに生きることがもっと豊かになるように、互いに励まし合うことができるように導いて下さい。
 あなたとの関わりを真剣に考えてこなかったことを赦して下さい。あなたとの交わりを大切にすることができるよう助けて下さい。
 あなたとの交わりに生きようとする者すべてを祝福して下さい。
イエス・キリストのみ名により祈ります。