暗唱聖句 イザヤ 26:3
「主よ、あなたは自分の目的をしっかりと持ち、あなたに信頼する者に揺るぎない平安をお与えになります」。
1.要約
(1)人を駆り立てるもの
人は何かに駆り立てられて生きているということができます。あなたの置かれた環境、あなたの価値観、あなたの感情があなたの人生を動かします。あなたの人生を動かす最も一般的な五つのものを上げてみます。
(i)罪責感
原因 特定の思い出に支配されている
過去の出来事に自分の未来をコントロールさせている。
結果 目的を持たないまま生きる(自分の成功を犠牲にして自分に罰を与える)
解決 神の目的は私たちの過去によって制限されない
神は、人々に新しい出発をお与えになることを得意としている。
考え方の転換 自分の過去を無視することはできないが、過去に縛られる必要はない。
(ii)怒りと憤り
症状 痛みを握りしめる
赦しにより痛みを手放す代わりに、心の中で何度も反芻する。
黙り込んで怒りを心の中に蓄積するか、爆発させて怒りを人にぶつける
結果 怒りはあなた自身を傷つける。
あなただけが、過去の痛みの中に留まり続ける。痛みに執着し、今後も傷つく。
解決 自分を思いやり、怒りを手放す。
(iii)恐れ
結果 しばしば好機を逸する。なぜなら、新しいことへの挑戦を恐れる。
安全策をとる。リスクを負わない。現状維持に終始する。
本質 恐れは、神が意図した者となることを妨げる自分で作り出した牢獄のようなもの。
解決 信仰と愛という武器でで対抗。1jn4:8
(iv)物質主義
原因 何かを獲得することこそ、人生の目標とする価値観。
誤解 より多く所有することによって、より幸せになる、偉くなる、安定する。
何かを所有することは、一時的な幸福感しか得られない。
解決 迷信を捨てる
・多く所有すると自分は立派になる(あなたの価値は所有によって決まる)
・お金があれば安定した生活が送れる。
・本当の安心は、けっしてなくならないものにある。神との関係にある
(v)受け入れられたいという必要
症状 自分を受け入れてもらおうと躍起になる/人がどう思うかを気にする
結果 自分の人生を人に支配させている(配偶者、両親、子ども、先生、友人)。
失敗の秘訣 すべての人を喜ばせようとすること。
(2)目的に導かれる人生
- 目的に導かれた人生とは、神に導かれ/支配され/正しく方向づけられた人生
- 神の目的を知ることほど大切なことはない
- これを他の何かで埋め合わせすることはできない。
- 成功も健康も名声も楽しみも埋め合わせることはできない。
(3)目的に導かれた人生を生きることの五つの恩恵
(i)人生に意味が与えられる。
- 神なしでは、人生は目的を持ち得ません。
- 意味を見いだせなければ、生き甲斐も希望も持てない。
- 人生に立ち向かうためには希望が必要。
(ii)人生はよりシンプルになる
- 自分のなすべき事とそうでないことが明確になる(神の目的が判断基準)
- よりシンプルなライフスタイル、健全なスケジュール
(iii)人生の焦点が定まる
- 努力とエネルギーを重要な事柄に集中できる。どうでもよいことに捕らわれない。
- 影響力のある人生の秘訣は、
活動を減らし/良いと思われることさえもふるいにかけ/最も大切なことに集中
(iv)人生に動機付けが与えられる
- 目的は情熱を生み出す/目的はエネルギ源
(v)永遠への準備が整う
多くの人:生きた証を残そうとする/近視眼的な生き方/人間の業績は、忘れ去られる
私たち:神が、私たちの人生について何というか/永遠に残る遺産を築く
- 生きるとは:人々に覚えてもらためではなく、永遠への準備をすること
- 最後の審判での質問
イエス・キリストに対してどのような態度を取りましたか
私が与えたものをどのように活用しましたか
2.読んでの感想
基本的にその通りだと思う。目的を知ることが人生をシンプルにするとあるが、これは真理。自分に基準がないと結局人の目を気にして、あれをしてこれをして、生活が多忙になるし、果てしなく気を遣う。
- 罪責感。かつてディボーションをして、示されたことを行えばよいと知らされて気持ちがすっきりした。それまでは牧師として何をどこまですべきか悩み、いつも自分の働きが不十分ではないか、という思いにとらわれていた。
- 怒りと憤り。特にない。
- 恐れ 永続的なもの(死の恐れ)、一時的な人への恐れ(人から強く責められた時)
- 物質主義 経験済み。迷信から解放された。
- 受け入れられたい。物事の決断で、自分がやりたいことと、人によく思われたいことの二つの基準で選択に苦しんだことがあった。最終的には、自分がやりたいことを選ぶことができた。境界線を引くことが大事と知る。
3.熟考するポイント 「目的に従って生きる人生こそ、平安へ至る道です」。
昔、丸山健二という作家が、「人々は漠然と生きている」とエッセイに書いていて、そうなのか、やっぱり、とうなづいたことがある。ものすごい洞察の言葉だと思った。平凡な人々は、平凡な日々の繰り返しを生きている。そして死んでいく。そんな人生は送りたくないと思った。
ある人々は目的を持って生きている。それを見ていて、どうしてそれが人生の目的になるのだろうと疑問に思うことがしばしばあった。僕は、何の目的のために生きるのか、その目的の探求、それが若い頃の人生を駆り立てていた。それが見つからないで満たされない空しさを覚える日々を送っていた。しかし今、信仰が与えられ、神に仕える人生を送っているが、これでいい、という平安がある。そして目的のある人生だから、充足感も与えられている。そして、我々の生活は平凡な日々の繰り返しではあるが、神と人を愛することに喜びが与えられ、感謝な日々を過ごしている。
4.考えてみましょう
テーマ
家族や友人のいうことが、自分の人生を動かす力になっていないでしょうか。本当はどうありたいと思っていますか。
他者の言葉に左右されるのは、一種の束縛であるので解放されるべきだと考えている。以前は、他人に左右されるのがいやで、自分の心を閉ざしたことがある。それは劣等感が原因であった。心を開いて何かを話せば、自分の愚かさが暴露されてしまうのではないか、と考えからである。しかし、劣等感は代わることなく心を支配していた。心を開き、どう思われても気にしないことに決めた。神に愛されているなら、それでいいではないか、という悟りである。おかげで、人の言葉が僕の人生を動かす力(束縛する力)になることはない。
ほめられたり、感謝されたり、励ましの言葉はいくらでも聞きたいと思う。