暗唱聖句 ヨハネ一2:17
「この世はそのすべての欲望と共に過ぎ去ります。しかし、もし神のみ心を行うなら、あなたがたは永遠に生きることになるのです」
1.要約
(1)全体要旨
この地上の人生だけがすべてではありません。この地上における人生は、本番前のリハーサルのようなものです。死の向こう側で過ごす時間の方が遙かに長いのです。あなたはそこで永遠の時を過ごすことになります。地上における人生は、永遠の生に備える準備期間であり、予備校であり、試験期間です。この世は次の人生への準備なのです。
(2)永遠へのあこがれ
- あなたは永遠に生きる存在として造られたのです。人は永遠のあこがれを生まれつきの本能として持っている。
「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない」(伝道の書 3:11)。
(3)二つの選択
地上には多くの選択肢がありますが、永遠にはたった二つの選択肢しかありません。天国が地獄かです。この地上においてあなたが神とどのような関係を築いたかによって、永遠における神との関係が決まってくるのです。
二種類の人間がいる。
- 神に対して「御心が成りますように」と言う人。
- 神から「分かった、好きにしなさい」と言われる人。
(4)生き方の変化
あなたの生き方は変わる。
いつ:
- 人生には目に見える以上のものがあると理解した時、
- 人生とは永遠への準備であるということが分かった時
どのように:-永遠という光のもとで今を生き始める
- 今まで重要だと思っていたことがどうでもよいことに思えてくる。
価値観が一変する:
- 名声、業績、快楽よりも
- 人間関係、自分の品性を重視する
- 優先順位が入れ替わる
しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです(フィリピ3:7)。
(5)死は終わりではない
死で終わりなら、好き勝手に生きたらよい。
死で終わらない、それが重要。死によってあなたの存在はなくなるのではなく、永遠の世界に移行する。地上でしたすべてのことの結果として永遠における結末が待っている。
(6)現代人の生き方に見られる最も有害な点
- 近視眼的な考え方
- 永遠の視点の必要。人生には、今ここで体験している以上のものがある。
(7)神と共に過ごす永遠とは何?
- 天国の驚異と偉大さは把握できない。
- 御言葉から少しだけ知ることができる
『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい』(マタイ25:34)。
(8)あなたの人生における神の計画
- 神はあなたの人生に目的を持っておられます。それは、この地上で終わるものではありません。
(9)永遠というテーマをもっと深く考える必要
- 母胎で過ごした生活は、地上の生活への準備
- 地上の生活は、永遠の生活への準備
死:
- イエスを信じる人にとって:死は永遠の世界を開く扉
- 死は地上の生活の最後の日
- 死は、永遠の人生への誕生日
2.読んでの感想
自分には「永遠へのあこがれ」があるのだろうか。自分の心が飢え渇き、満たされることを切に求めた。地上のものでは心は満たされなかった。イエスは言った「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい」。イエスを信じ、信仰に生きるようになって渇きは満たされた。神へのあこがれが、あるということだと思う。
「二つの選択」という点では、神を信じること、イエス・キリストを信じることを自分は選び、生き方、価値観が変化した。端的に、牧師となり神に仕える働きに従事することとなった。この世のことよりも、神の事柄に価値をおく生き方をするようになった。しかし誘惑があることは否定できない。認められたい、楽しみたい、など。今思うことは、人生を楽しむことは神の恵みであること。私たちが必要としている恵みである。だから信仰者だからと行って禁欲的な生き方をしなくてもよい。しかし優先順には大切である。神の目的に生きることが第一であり、人生を楽しむことは二番目である。
人生を楽しむことを第一にしている信仰者もいる。これは神の目的に生きることをきちんと伝えていない牧師に一端の原因がある。
「死は終わりではない」。そう信じたいし、信じているつもりである。死んだが一巻の終わりとは考えていない。死後のことは聖書は語っているが、明確ではないが、神と共にある素晴らしいものと受けとめている。
僕の人生における神の計画とは、「神を知る」ことにある。そして神と共に生きることを喜ぶことにあると思う。牧師として働くのは、神を知ることに目的がある。
「永遠というテーマ」をもっと深く考えることは、どう考えたらよいのだろうか。聖書が永遠についてどう語っているのかを思い巡らすことなのだろうか。この世のものは過ぎ去ることを考えることか、神の裁きのあることを考えることか。課題。
3.熟考するポイント 「人生には、この地上における生活以上のものがあるのです」
聖書がいうように、この世のものは一時的で過ぎ去る。それらを追いかけても、本当には満足できない。一時的な満足でしかない。イエスは地上ではなく、天国に宝を積みなさいと語った。そうなのだと思う。福音を宣べ伝える働き、それは地味な働きであり、人々から注目されるものではない。目立つ成果を上げるというものではない。それは神にゆだねられた働きであり、ただ忠実に取り組むことが大切と考えている。それが永遠につながるのだと思う。「よくやった」と神からほめていただきたいと思う。
4.考えてみよう
永遠に生きる存在として造られた私たちが今日やめるべきこと、そして始めることは何でしょうか。一つずつ挙げてみましょう。
今日ということではないが、心がけていることがある。
やめるべきこと:観念的、知識的な信仰に生きること
すべきこと:み言葉に生きること。神の口から出る一つ一つの言葉によって生きることをすること。