クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ


↑ キバナノコマノツメ 2009.6.29 八方池

出来事は起こる時には起きるのである。
それはそれでありのままに引き受け、
黙々と淡々と処理するしかないのだと
開き直れる年齢まで生き延びてしまった。

今日も、作家南木佳士さんのビデオを繰り返し見てしまった。上の言葉は、南木さんが山に登っている場面で口に出している言葉である。NHKの福祉ネットワークでは、番組について次のように紹介している。

 作家で医師の南木佳士さん(57)は、38歳の若さで芥川賞を受賞、しかしその翌年にうつ病を発症した。仕事が全く手につかず、自殺の衝動にかられる日々。7年をこえる長い闘病生活を乗り越え、南木さんは、いま、老いや死を受け入れて、人生の"復路”を生きる意味を問いながら執筆活動を続けている。南木さんにじっくりとお話しをうかがう。

僕はビデオを見ていた時、冒頭の言葉を聞いて、はっと思い出したことがあった。それは良寛のことである。ぼちぼちと読んでいる『公案夜話』(松原泰道)の中に次のように書かれている。

越後の良寛さまは、越後三条に住む身内の者が大火で罹災して丸裸になったのを慰めるのに、何と「災難に遭う時は、災難に遭うがよろしく候」と、厳しく教えています。災難の事実と無事故の事実とを対比せずに、焼けて無一文になった事実に徹するのが、災難から浮かび上がる最上の理念である、と良寛さまは厳しい表現の裏に、温情を込めて教えるのです。

 何でこんな事が起きるのか、と人は考える。クリスチャンであれば、神がなぜ、自分の身にこのようなことを起きるのを許したのか、と疑問に思う。しかし、起きた事柄をそのままに受け入れることに徹する、これは人間の知恵であるが、信仰的でもある。人間はすべてのことがなぜ起きるのか、知ることはできない。神にゆだねることが大切なのだを思う。僕は、こういう心がけで行きたい。


 午後、書店に行き、南木佳士さんの本を買ってきた。読みたいという思いに駆られた。夜は、地区のCS校長会。