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隠退牧師 holala によるブログ

 第五日 神の視点から人生を見る

第五課 神の視点から人生を見る
暗唱聖句 ルカ16:10a

「小さな事に忠実でなければ、大きな事に忠実であるはずがないでしょう」


1.要約

(1)全体要旨

 あなたの人生の見方が、あなたの人生を決定します。人生をどのように定義するかによって、あなたの運命は決まります。あなたの物の見方は、あなたの時間、お金、才能の使い方から人間関係の評価の仕方に至るまで、少なからず影響を与えているのです。


(2)あなたは自分の人生をどうとらえていますか

 あなたは自分の人生をどうとらえていますか。と尋ねてみる。

  • 人生は、〜のようなものとたとえで語ることができる。

   サーカスの皿回し/地雷の埋められた地雷原/ジェットコスター
   メリーゴーランド/旅/トランプみたい

  • 人生のイメージで考える

   祭り/レース/マラソン/戦闘、競技

  • これらのものは、価値観、人間関係、目標、優先順位などを語っている。


(3)聖書が語る人生のイメージ

  • 人生はテストである。
  • 人生は預かりものである。
  • 人生は一時的な務めである。


(4)人生はテストである

  • このたとえは、聖書全体にちりばめられている。神は人々の気質、信仰、従順、愛、正直さ、忠実さを事あるごとに試している。試練、誘惑、精錬、試み、という言葉が聖書に200回以上でてくる。
  • 聖書にはテストを受けた人物のことが描かれている。失敗した者や成功した者もいる。
  • 人格は試されることによって成長する。人生は毎日がテスト。神は日々、あなたにふさわしいテストを用意され、あなたの反応を見ている。
  • 神がどんなテストをお与えになるのか、ある程度予測ができる。
  • 人生に大きな変化が起きる
  • 約束がなかなか実現しない
  • 解決の糸口もつかめないような問題が起きる
  • 祈りが答えられない
  • 身に覚えのない批判を浴びる
  • 原因不明の悲劇に見舞われる
  • そのような中で、信仰が試され、希望が試され、愛が試される。
  • 大切なテストは、神の臨在が感じられなくなったとき、どうするか。
  • 人生がテストであると分かると
  • 人生に無意味なことは何一つない
  • 毎日がかけがえがない
  • 一瞬、一瞬が人格的成長の機会、愛の成長、神に信頼するための成長の機会。
  • 神はあなたがテストに合格することを願う

  神は恵み深く、問題と取り組むための力を備えてくださる
  あなたがテストに合格するたびにそれを覚えてくださり、永遠において、その報いを用意しておられる


(4)人生は預かりものである

  • 神が一切のものの所有者で、我々は賜物が与えられ、それらを管理するようにゆだねられている。

  時間/エネルギー/知性
  機会、人間関係、財産など。

  • 神が人類に与えた最初の仕事

  地上にある神の「所有物」を管理し、その世話をすること。
  これは、今日も継続している

  • エスもたとえをもって人生は預かるものであると教えられた。たらんとのたとえ。
  • 人生を終えた時、預かりものをどのように扱ってきたのかが評価され、その報いを受けることになる。
  • 多くの人は、お金が、神からの預かりものであり、また神のテストの題材であることに気がついていない。多くの人にとって、お金は大きなテスト。神は、私たちのお金の使い方をご覧になっている。


2.読んでの感想

 読んで、まず問われたのは、人生をどう見ているのか。基本的には、充実した人生を送りたいと考えている。若い時、その恐れと空しさに捕らわれていた時、そのためなら死んでもよいと思えるものに出会いたいし、そのことをして生きていきたいと考えた。そして神は、私を信仰に導き、私の願いをかなえて下さったと信じている。


 しかし、自分が、自分にとって充実した人生を送りたいということであり、牧師として生きることも、充実した人生を送るという自分の目的に利用していることになりかねない。いや、なっている。そういう面はある。認められたいとか、実りを与えられたいとか、人間的な思いが湧いてくるのは、そのためである。今は、ただ神のみ心に忠実に生きていきたいという気持ちである。


 人生はテストであると教えられたことは、日々の行動に影響を与える。神が我々を見ていると意識すると、改めるべき行動に気づく。損得勘定をしたり、要領よく行動しようという思いがあることを思う。小さなごまかしもしてはいけないと思わされる。人生はテストと考えることによって、思いがけない不幸、マイナスと思える出来事にあった時も、対処できるのではないか、と思う。
 良寛が言った。「災難に遭う時は、災難に遭うがよろしく候」。災難が起きなければと嘆いたり、神を恨んだり、自己憐憫に陥ったりしがちであるが、人生はテストという考えは、私たちを成長させるものであると思う。


 人生は預かりものという点では、そう思っている。牧師として献身したことも、神様から与えられた命を神様のために用いるという意識はある。「神のため」と言うことを狭く捕らえてはならないと思う。信仰生活は決して禁欲的な生活ではない。人生を楽しむことは大切と考えている。私たちは神の僕として神に仕える面もあるが、神の子として、自由に生きることも許されている。


 お金は預かりものであり、テストの題材というのははっとする。無駄遣いは避ける。衝動買いも避ける。贅沢は避ける。しかし人生を楽しむためにはお金は使う。神への献金をする。寄付をする。必要な物は買う。背伸びした生活は送らない。老後のことは神様にゆだねる。それが僕の考え方か。お金の使い方について、おおらかな妻が与えられていることは感謝である。


 自分のお金の使い方が、神が私の人生においてなさろうとしていることの妨げとなっていないか、という問いかけがあった。特にないと思う。マラキ書に「十分の一の献げ物をすべて倉に運び/わたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと/万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために/天の窓を開き/祝福を限りなく注ぐであろう」(3:10)。自分は、この神様の祝福を受けていると思っている。


3.熟考するポイント 人生はテストであり、預かりものです。

人生はテストであることは大切な教えである。日々の出来事において、どう生きるのか、何を選択して生きるのか、それは人格的成長の機会であり、愛の実践、神への信頼の成長の機会であることを受けとめたいと思う。日々を漠然と生きるのではなく、テストと受けとめる時、日々がかけがえのないものとなることを信じるし、充実した日々を送りたい。


 預かりものであることは、そのように認識している。特に子どもたちは、神からの授かりものであり、彼らが生きていくための最大限の励ましを援助は与えたいと思う。それは決して親に依存するという援助ではない。

 お金については、必要なことにお金を惜しんで貯蓄することはしない。無駄遣いはしない。人生は楽しむ、献金はする。そういう中で、貯蓄できればするし、できなければ仕方がない。老後のために十分なお金があるかないかは、気にしない。どのようになろうと神の守りと導きがあると信じて生きていく。神を信頼している結果として、のたれ死にするようなことになったとしても、それはかまわないと考えている。


4.考えてみよう
 神からのテストであったのだと今になって気がついたことで、最近経験したことが何かありますか。神から預かっている一番大きなものはなんでしょうか。


 以前、ある人から強く責められたことがあった。その人と会うことがとても憂鬱で、かなり気持ちが落ち込んだ時期があった。責められるには理由があるわけで、僕にとっては、大きな試練だった。自分の無力さ、自分の弱さを認めることができるようになったし、失敗を恐れなくなった。無力な自分、失敗する自分を受け入れることができるようになり、聖書にあるように、自分の弱さを誇ることができるようになった。


 神から預かっている一番大事なもの、それは自分の命である。そして子ども、教会員も一番ではないが、大きなものである。