クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 夜、柳家小三治の落語を聞きに行った。県立音楽堂の邦楽ホールで行われた。県立音楽堂は、金沢駅の隣にある。行きは歩き、帰りはバス。沢山の人が来ていた。ほとんどの席が埋まっていた。


  一つの話しは、小三治フランク永井との交流を笑わせながら語る長い枕の後、「小言念仏(こごとねんぶつ)」。二番目の話しは「野ざらし」。沢山笑わせてもらった。ここに来ている人は皆笑いたくて来ているのだと思う。人はどんなとき笑うかというと、思いがけない言葉が出てきた時に笑うそうな。だからダジャレを聞くと笑う。小三治も「私には三人子どもがいます。小三治(子三児)ですから」と言って笑わせた。


 説教も、一つの話芸である。説教は、メッセージ性がある。伝えたいことをきちっと受け取ってもらう必要がある。作家の井上ひさし

「むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことをユーモアをもって」

と話しをする時の心構えを語っていたことを思い出す。思い出すというより、心に留めている。僕は、注意を惹きつけるために、ダジャレも説教にあってもよいと考えている。ダジャレを聞いて笑ってまた教会の礼拝に来てみようか、と思ってもらえるのも大切だと思っている。ただなかなか、時間的余裕がなくて、ダジャレを説教に組み入れることができない。僕の欠点は、だじゃれを言う前に自分で笑ってしまうこと。これでは人を笑わせることはできない。説教にも枕があってよいと思うが、それを考える余裕もなかなかない。