クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 第七課 すべてのことの意味


暗唱聖句

すべてのものは、ただ神から来ています。すべてのものは神の力によって保たれ、神の栄光のために存在しているのです(ローマ11:36)

1.要約

(1)全体要約

 すべてのものは神のために存在しています。宇宙の究極的なゴールは、神の栄光を現すことにあります。あなたも含めて、すべてのものがそのために存在しています。神は、ご自身の栄光のためにすべてのものをお造りになりました。


(2)神の栄光とは何か

 それは、神が神ご自身であられるということです。
 神の力の現れ、その存在が放つ威厳、神の素晴らしさの表現、神の永遠のご性質の表現。


(3)神の栄光はどこで見られるのか

  1. 創造物は皆、創造主の栄光を現している。
  2. 歴史の中に
  3. イエス・キリストにおいて(Hb 1:3)
  4. 教会


(4)神の栄光のために生きる

 私たちは、神の栄光を認め、崇め、語り告げ、賛美し、反映させ、その栄光のために生きるように命じられています。理由は、神が栄光を受けるにふさわしい方であるからです。

  • 被造物の中で、神の栄光を記すことに失敗した二種類の存在がある。堕落天使と人間。-罪とは、その根本において、神に栄光を帰さないこと。
  • 罪とは、神以上に何かを愛すること
  • 神に栄光を帰すことを拒むことは、思い上がった反抗。
  • 私たちは、自分の栄光のために生きてきた。それは間違い。
  • 人生最大の目標は神に栄光を帰すこと


(5)神の栄光の現し方

 イエスご自身神の栄光を現した。そのように我々も神の栄光を現すべきである。
 被造物がその造られた目的を果たす時、神の栄光が現れる。
 人が造られた目的は、五つに要約することができる。

(i)神を礼拝することによって

  • 愛と感謝と喜びをもって礼拝をささげる。
  • 礼拝とは、神を喜び、神を愛し、神の目的のために自分自身を献げていく生き方

(ii)他のクリスチャンに愛を示すことによって

  • 信仰者は教会に属し、神の家族に迎え入れられた
  • 家族の中で互いに愛し合う

(iii)キリストに似ることによって

  • 霊的な成長を神は願われる。
  • それは、イエスのように考え、感じ、行動すること。
  • 入信時、新しい命、新しい性質を与えられているので人格的な成長をし続ける

(iv)与えられた賜物を用いて人に仕えることによって

  • 神は、私たち一人一人に異なった賜物、才能、スキル、能力を与えて下さった。
  • それを他の人たちのために用いる。

(v)他の人々に神のことを伝えることによって

  • キリストを他の人に紹介し、彼らが自分の人生の目的を見出し、永遠の運命に対して、よき備えをするように手助けすること。


(6)あなたは何のために生きるのか

 選択の必要

  • あなたは自分の目標や楽しみ、欲望のために生きるのでしょうか。
  • それとも残りの人生を神が用意しておられる永遠の報いを期待し、神の栄光のために生きるのでしょうか。

 決断の必要

  • 神の招きに応じる。神の栄光のために生きる。これが唯一の生きる道。まず、信じ、受け入れること。

 信ずべきこと

  • 神があなたを愛している
  • 自分がある目的のために造られたこと
  • 自分は偶然に存在しているのではない
  • イエス・キリストとの絆によって生きるよう選ばれた
  • 神はあなたを赦したい

 受け入れるべきこと

  • 救い主を受け入れる
  • 罪に対する赦し
  • 人生の目的を達成していく力を与える聖霊を受け取る


2.今日の箇所を読んでの感想


 「すべてのものは神のために存在しています」。聖書にそのように書かれているので、真理であり、反論はできない。しかし、いきなり、人間は神のために存在していると言われると、素直に了解できない面が生じる。つまり、神は私のために何をしてくれたの?という問いが生じる。私が神のために生きる前提として、神が私のために何をしてくれたのか納得したいという思いがある。これは神と自分が対等の立場という観点からの反応である。この反応は、私たちの心の中にある。

 だから、これまで学んできたことを十分に心に留めなければならない。上の述べた心の反応は何を示しているのだろうか。「人生は自分のものである」という考えが潜んでいる。なぜなら神のために生きることについて、神からの見返りを前提としている。神が私に何をしてくれたから、私は神のために生きるのかを考えるという発想がある。また自分の存在が神に負っているという考えもない。あたかも自分の力でこの地上に存在するようになったかのごとくに考えている。さらに死の向こうの世界のことも何を考えていない。

 神と私たちは対等ではない。神は創造主である。これまで人生は、私が中心ではなく、造り主である神が出発点であると学んだ(第1日)。私は偶然に存在しているのではなく、私は神の愛により、神が念入りに私のことを創造して下さっている(第2日)。罪のなかにあった私たちは、私たちを駆り立てるものによって生きているという現実がある。罪責感、怒り、恐れ、物質主義、受け入れられたいという思いなどによって駆り立てられて生きている。それでは真に生きていることにはならない。自分の人生に用意されている神の目的を知ることが大切で、その目的に導かれて人生を生きることが大切であると学んだ。目的を知ることによって人生はシンプルになり、人生に動機付けが与えられ、永遠への準備が整う(第3日)。さらに人生は、この地上の人生だけではない。人は永遠に生きる存在として造られている。だから永遠を生きるという視点を持つことが大切となる(第4日)。さらに神の視点から人生を見ることの必要が教えられた。人は人生に対して自分のイメージを抱くかもしれない。しかし神の視点から見ると、神が人生をどう見ているかがわかる。人生はテストであり、預かりものであり、一時的な務めであるということ。人生の一瞬一瞬が人格の成長、愛の実践、神に信頼する成長の機会となる。また人生は預かりものであり、神から与えられた人生を管理するのが生きるということである(第5日)。そして地上の人生は一時的なものである。死んだあと、本当の故郷に帰ることを覚えなければならない(第6日)。


3.熟考するポイント すべてのものは神のために存在している


 人間と堕落天使以外は、神のために存在している。大空は御手の輝きを示し、自然の中にある被造物は神の栄光を現している。それらはあるがままに、造られたままに生きている。この命題を受けとめるべきは正に人間である。
 私たちは決断をしなければならない。神のために生きるのか否か。そのためには、これまで学んだことを繰り返し、繰り返し、確認していかなければならない。そうしないと肉の思いに引き戻されてしまう。
 要はアーメンというか否かである。牧師として召され、神のために存在し、生きていると考えている。しかし、自分が整えられるためには、時間がかかったし、まだ時間がかかると思う。この五つの目的を早くから学ぶことができたらという思いがあるが、僕が若い時には、この本はなかった。若い人たちには読んでもらいたいし、若い牧師たちにはこれを使って信徒を育てて欲しいと思う。
 この世には多くの人がいる。神を知らず、生きる目的を知らず、自分の人生の目標に生きている人が多い。それで人生がうまくいっているとは限らない。その人たちのためにキリストを宣べ伝え、神を知り、よい人生を送り、永遠の命に生きて欲しいと思う。パウロはキリストの愛が迫ると語る。人々の救いのために、キリストの愛の迫りを感じ、神のために生きていきたいと願う。


4.考えてみよう

 自分の日常生活のどの領域において、神の栄光についてもっと気づくことができるでしょうか。

 自然の被造物の中に創造主の知恵が現れている。それを見てみたい。先日テレビで、キイロスズメバチの生態を伝える番組があった。その中で、蜂が巣を作るのであるが、巣の作り方における蜂の本能、幼虫にえさをあげると同時に幼虫から食べ物をもらう不思議な仕組み。一つのキイロスズメバチにさえ、神の知恵が組み込まれている。単純に進化したからとは言いたくない。

 神は一人一人の人生を通しても働かれる。教会で分かち合いをするが、一人一人の発言の中に神の導きを感じ取りたい。つい聞き過ごしてしまう鈍感さがある。
 自分自身はどうだろうか、自分だって神に導かれて生きているのであるから、自分を導く神の栄光に気づいてよいはずだ。実際に何人かの牧師との出会いを通して、神様は導いて下さり、今の私がここにいる。