クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 今週の月曜日、ノンフィクション作家の柳田邦男さんの講演会を聞きに行った。その中で、とても印象に残ったことがあった。それは、人は受け入れるのに困難な事態に直面した時、物語によってそれを受け入れると。生きるとは、自分の物語を生きることなのだと。この「物語」ということで、柳田氏は、河合隼雄さんのことを引用した。


 そこで、ネットで検索し、一冊本を買って読んだ。『生きるとは、自分の物語をつくること』(小川洋子河合隼雄対談集)。

 人は、生きていく上で難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。

と作家の小川洋子氏が言う。彼女は『博士の愛した数式』という小説を書いた人物だということは、この本を読んでわかった。この映画は以前見たことがある。記憶障害を持った数学者が登場する。この引用を読んで、作家ってすごいなと思った。続いて彼女は言う。

 小説で一人の人間を表現しようとする時、作家は、その人がそれまで積み重ねてきた記憶を、言葉の形、お話の形で取り出して、再確認するために書いているという気がします。

ふ〜ん、そうなんだ、という感じ。さらに

臨床心理のお仕事は、自分なりの物語を作れない人を、作れるように手助けすることだというふうに私は思っています。

へ〜。これに対して、河合氏は、

おっしゃったことは、わたしの考えていることとすごく一致しています。

そうなんだ。という感じ。信仰はまた別な見方をする。
示唆的だと思った言葉は、

何か大きな流れの中の一部として、自分を捉えるような見方が足りないんですね。

 これは作家の小川氏の言葉。我らキリスト信者は、神の救済の物語、神の民の物語に生きている。そのことを語っていくことの大切さを教えられた。


 昨日は、小松まで出かけた。小松にいる娘の孫の幼稚園の運動会。自分の子どもたちの運動会は、ほとんど日曜で参観できなかった。そのことを思いながら、出かけた。あいにくの雨で、体育館での運動会。