クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

本日のメッセージ(2011.1.16)
聖書 ルカ 3:21〜22 わたしの愛する子


 聖書は、主イエス・キリストが人間の救い主であると告げています。イエス・キリストという表現は、元来、名前を表すものではなく、イエスはキリストである、という文章を短くしたものでした。それがいつの間にか、救い主イエスを指し示す名前のようになりました。この主イエス・キリストは「神の子」であると聖書は告げます。そして主イエス・キリストを信じる者も「神の子」であると聖書は告げています。

  • そもそも神に子が存在しうるのかと疑問に思う人もいるでしょう。神は見えないのに、形もないのに、どうして子が存在するのでしょうか。
  • あるいは神の子って何だ、という疑問を持っても不思議ではありません。


 今日の聖書を読んで、そのことを思わされました。そこで共に聖書を読んでいきたいと思います。


 民衆が皆洗礼を受けに来て、主イエスも洗礼を受けます。主イエスが洗礼を受け、祈っていると聖霊が降り、天から声が聞こえてきたと書かれています。その声は言います。

「あなたはわたしの愛する子」。

あなたとは、主イエスのことです。天からの声が、あなたはわたしの愛する子、と主イエスに語りかけたのです。


 私たちは主イエスのことを神の子と信じます。主イエスは神を父と呼び、神と主イエスは、「父子」の関係にあると考えることができます。しかしその父子関係は、私たちの父子関係とは異なります。神は肉体を持っていないし、主イエスは人間です。父子あるいは親子と言えば、親子の絆があります。人間の親子であれば、それを血のつながりと言いますし、DNAという遺伝子による結びつきがあります。神と主イエスの関係は、父と子の関係ですが、それを人間の親子関係、父子関係に当てはめて考えることはできません。


 聖書は、神と主イエスの関係を表現する際、ほかに適切に表現する言葉がないので、親と子の関係を用いているように思えます。私たちもまた、神を天の父と呼び、私たちは神の子とされていると信じていますが、一体神との間にどんな親子の絆があるのでしょうか。神と信仰者の関係を表すのにも、他に適切な言葉がないので、父と子の関係で表現しているように思います。


 旧約聖書において、神を父と呼ぶ、あるいは人間を神の子と呼ぶことは少ないのですが、いくつか例があります。たとえば、イスラエルにソロモンという王がいました。彼の父はダビデです。ダビデ、ソロモンの時代、イスラエルは領土も拡大し、繁栄を誇りました。


 ソロモンが王になる前、神はダビデに言います。「私は彼の父となり、彼は私の子となる」。彼とはソロモンのことです。ダビデの死後、王となるソロモンに対して神は、ソロモンの父となると言い、ソロモンは私の子となるというのです。神が「私はソロモンの父となる」と言ったのは、神が父の役割を担うと言ったのです。父が子を守り、支え、導くように、神はソロモンを守り支えるというのです。

  • ソロモンは神の庇護を受けて王としての地位を保つのです。
  • 神はソロモンの強力な後ろ盾となるのです。

 この場合、神が父と呼ばれるのは、子を守り、支え、導くという父の役割を果たすからです。父というのは比喩として語られています。


 主イエスの場合、神はなぜ父で、主イエスは子と言われるのでしょうか。ヨセフは主イエスの育ての父親です。彼は大工の仕事をしていました。主イエスもメシアとしての活動を始めるまでは、大工の仕事をしていたと思われます。昔は、息子は父の仕事を継ぐと決まっていました。主イエスは、最初は、父ヨセフの仕事を見ながら、大工の仕事を覚えたでしょう。手伝いをしながら、父ヨセフから、こうした方がよいとか、ああすべきだと教えられたこともあると思います。主イエスは、父のヨセフの仕事を見、教えを受けて、大工の仕事を身につけていきました。そして30歳の頃には、父と同じ一人前の大工になったのではないでしょうか。


ヨハネ福音書にはっきり書かれているのですが、主スは言います。

  • 「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである」(6:38)。
  • 「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである」(7:16)。
  • 「子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする」(5:19)。


 これらの主イエスの言葉を見ると、主イエスと神の関係は、大工の子イエスと父ヨセフの関係とそっくりです。神と主イエスは密接な関係にあります。「わたしと父とは一つである」(10:30)とさえ主イエスは言うのです。そして神の教えを受け継いでそれを教え、神のしていることを見て行うという主イエスの言葉は、あたかも神が父であるかのようです。主イエスと神の関係を表現する場合、父と子の関係で表現するのはふさわしいのではないでしょうか。


 主イエスは子として、父である神と同じ働きをするのです。父の代理として、父なる神に遣わされてこの地上でメシアとして、父からゆだねられた働きをするのです。父には、子に自分の代理として、自分を継ぐ者として子に働かせているイメージがあります。父と子の関係で主イエスと神との関係を言い表すのはふさわしい表現ではないでしょうか。子は父を代表して、父から委託された働きをするのです。


 天からの声は、「あなたは私の愛する子」と言いました。この「愛する子」という表現は、独特な表現です。創世記22章、アブラハムが愛するたったひとりの子を神にささげる箇所を思い起こします。神はアブラハムを試して、彼に命じます。

「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。私が命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物として献げなさい」(創世記22:2)。

 神はアブラハムにたった一人の息子を焼き尽くす献げ物としてささげるように命じるのです。そしてアブラハムは、イサクを献げます。祭壇を造り、薪を乗せ、その上にイサクを乗せ、ナイフで彼を殺そうとします。その時神は、それを止めるように命じます。神は、アブラハムが神を畏れる者であることを知ったからです。この物語において、アブラハムは独り子を献げようとします。しかし独り子イサクを失うことはありませんでした。この物語は、やがて神が、愛する独り子を十字架で失うことを暗示する物語となります。


 天からの声はさらに言います。

「私の心にかなう者」。

文字通りに訳せば、あなたによって私は喜ぶという意味です。これは旧約聖書イザヤ書42章1節を思い起こさせます。「見よ、私のしもべ、私が支える者を。私が選び、喜び迎える者を」。イザヤ書の40章以下は、主のしもべの歌といわれ、やがて来るメシアがいかなる人かを告げるものとされています。ですから、天からの声は、主イエスがメシアであることを告げています。そしてイザヤ書は、メシアが、苦難を受けることを告げています。ですから主イエスは、この声を聞いて、自分がどのような道をたどるかを知ったに違いありません。


 自分は、神の独り子として、神の働きを担い、人々を救うための働きをすること、そのために苦難に遭うことを、天の声を聞いて理解したことと思います。主イエスは、神との深い関係を持つ者として、神の子として、神から委託されて、神の救いの業を行うのです。


 天からの声がする直前、聖霊が鳩のように見える姿で主イエスの上に降ってきたとあります。昔イスラエルでは、王、預言者、祭司などが、その務めにつくとき、頭に油を注ぐということが行われました。任職式において、務めに携わる者の頭に油を注ぐのです。油を注ぎ、その人を務めに任じるのです。ある人は王になり、ある人は預言者になり、あるいは祭司となります。この油注がれた人のことを、メシアと呼んでいました。


 やがてメシアは救い主を意味する言葉になっていきました。主イエスの上に聖霊が降り、主イエス聖霊の油注ぎを受けて、油注がれた者、メシアになったのです。メシアというヘブル語は、ギリシャ語に訳されるとキリストになります。油注ぎは、務めを果たすのに必要な力を与えます。このあと主イエスは、聖霊に満たされ(4:1)、あるいは「霊の力に満ちて」(4:14)、メシアとしての働きをすることになります。


 聖霊が降ったのは、主イエスが洗礼を受けて祈っていた時でした。主イエスはメシアとしての働きをするために祈っていました。するとその祈りに応えるかのように聖霊が降ったのです。神の方から、聖霊を降し、メシアとしての働きをするように聖霊の油注ぎをしたのです。そして霊の力を与え、救い主としての働きをするように、主イエスは神から遣わされるのです。


 私たちも、主イエスを信じるとき、神の子とされます。私たちもまた恵みによって神の子とされます。あなたは神の子とされるのです!神は私たちの父となってくださいます! 神は父として、私たちを守り・支え・導く父となってくださいます。このことは詩篇23篇がはっきりと語っています。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたが私と共にいてくださる」。


 私たちも、主イエスを信じるとき、聖霊を賜物として受けます。

  • 私たちが祈って待ち望むなら、霊の力を与えられます。
  • そして、神の子として、父なる神と一つとされて、父の働きを担う者として遣わされるのです。
  • 神は父として、子である私たちに聖霊を注ぎ、私たちを神の働きを担う者としてくださるのです。
  • 私たちに対しても神は、「あなたはわたしの愛する子、私の心にかなう者」と言ってくださるのです。

祈り 天の父、あなたは主イエスの父です。そして私たちの父となってくださいます。私たちを守り、支え、導く方として、あなたを父として持つことのできることを感謝します。
 またあなたは父として、私たちになすべきことを教えてくださることも感謝します。わたしたちも父であるあなたから何をすべきかを教えられ、歩む者となりますように。
 一人一人の置かれた場所、関わるべき人々は、それぞれに違っており、なすべき務めも異なっています。その中で、あなたを父と仰ぎ、あなたに導かれる歩みをすることができるようにしてください。そしてあなたがおられる神の国を目指して歩めるように、私たちを導いてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。