クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ


金沢市郊外吉野村


 今、週報の裏に、『恵みの分かち合い』と題して、証しの文章を掲載しています。今週まで、10回続いています。何回続くかわかりませんが、教会員の証しを募って掲載しています。私も文章を寄せています。今週の週報には、私の文を乗せましたので、ここに転載します。

恵みの分かち合い

「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば/主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」(箴言3章5〜6節)。

 土曜日、説教の原稿を書き上げると、妻に目を通してもらいます。まず、てにをはなどの字句の間違いを見つけてもらいます。次に、その説教に対する印象を聞きます。いちばん身近な聞き手の反応を知るわけです。「わかりやすいわね」とか、「説教がスムーズに流れていないから心に残らない」とか「独りよがりの文になっているかも」とか、その時々の反応を聞きます。それが土曜の夜10時から11時頃です。そして、日曜の朝、修正をします。こんなふうに日曜を迎え説教をしています。


 ところが、土曜日の深夜、または明け方に目が覚めることがあります。「説教を書き直しなさい」と言われているかのように、目が覚めて感じるのです。先日も、トイレのために目が覚めた時、「この説教でいいのか? ただのいいお話になっているだけではないか。罪からの救いが聖書のテーマではないか。生ぬるい説教ではないか」。そんな声が心に響いてきたような気がしました。布団に入ってしばらく思い巡らしました。そして知らない間に寝込み、早くに目が覚めます。そしてすぐに原稿の書き直しです。私は、神様の導きを受けることのできることをとてもうれしく思っています。


 私は、神の導きに生きようとする人には、神は必ず、導きを与えてくださると信じています。