クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 夜の祈祷会は、創世記の50章を取り上げた。父ヤコブが死んだ後、ヨセフの兄たちは、ヨセフが復讐しないか心配になった。そこで人を介して、父ヤコブは兄たちを赦すように願っていたとヨセフに伝えるのである。エジプトで、ヨセフが身を明かしたときに、兄たちが、ヨセフに赦しを求めていればよかったのだが、再会の喜びに引きずられ、和解はきちんとしていなかった。そこで、赦しを求めるべき時には、ためらわず、赦しを求め、赦され、和解を求めることが大切だと思うと僕が語ったとき、

いや、北陸の人間は、あやまりませんよ。言葉であやまっても、それは表面的なものと受け取られる可能性があるし。北陸の人間は、あやまるかわりに、それと同等なことをいかに表したらよいのかに心を遣います。そこに北陸の人の心の深さがあるんです。

との発言があった。僕は東京出身で、北陸の人の心はわからない。聖書の教えは、県民性にまさると思うが、思いがけない発言であった。